桂小五郎の江戸内海台場潜入秘話
ペリー来航後、江戸に遊学していた桂小五郎は、品川台場築造の監督をしている代官江川太郎左衛門に同行したいと考えます。
当時は、台場とその周辺は幕府の直轄で、藩士は入ることができません。
小五郎は禁を犯しても、江戸の海上要塞の実態を、視察したかったのです。
小五郎の剣術の師である練兵館の齋藤弥九郎は、江川の介添え役として台場築造に関わっていることから、小五郎はなんとかならないかと相談をしました。そこで考え出した策は、江川の「奴僕」のふりをして随行すれば、潜り込めるのではないかということでした。
こうして、小五郎は変装して、小五郎の正体を知らない代官江川に他の奴僕とともに付き従って、台場や海岸測量に巡視してまわります。
ある日、羽田の茶屋で、江川達役人は奥の座敷に入り、奴僕たちは店頭に腰を掛けて休んでいました。
すると、茶屋で忙しく働いていた老婆が立ち止まり、下僕たちの中の小五郎をまじまじと見つめています。
しばらくためらってから、老婆は小五郎に声をかけてきました。
「あんたは若いけど、ただもんじゃあないね。ちゃんと志を持ちなさい。刻苦勉励すれば、きっと出世するよ。奴僕の中に、いつまでも、いるもんじゃあないよ。いいかい。青雲の志を立てて、しっかりと学び勤めに励むんだよ」(意訳)
老婆は小五郎に、諭すように語りました。
この話は、後年、木戸孝允(桂小五郎)が同志の山尾庸三(維新後子爵)に、青年時代の思い出話として、懐かしく語ったものだそうです。木戸の胸に、老婆の言葉が響くものがあったのでしょう。
これだけなら、ただ励まされた思い出話のように思えます。でも私には、裏があるように思えてなりません。
では分析してみます。
1 老婆は、なぜ小五郎に声をかけたのか
そもそも店の仕事で立ち働いている老婆が、他の客はさておき、最も地位が低く年も若い(二十歳過ぎ)小五郎に声をかけるでしょうか。賄いで客の相手をして、おもてなしを軽口でするにしても、お役人の相手をするのが中心でしょう。
しかも内容が尋常ではありません。
小五郎はというと、身長174センチ。当時の男子の平均身長は155センチくらい。大柄で、しかも剣術の稽古で鍛えられた肉体。日々兵学なども学んで、聡明な雰囲気があったかもしれません。写真からも姿勢の良い人物だと見受けられます。体力もありそうで、ハンサムで、賢そうだったら、それだけで目立ったことでしょう。
ひょっとすると、老婆は『この青年は奴僕ではない』と見破ったと思われます。
2 場所の分析
台場とその周辺は、幕府直轄で、藩士の出入りを禁止しているエリアです。小五郎が江川に随行して海岸の巡視をしているのは、あくまでも代官の従者としてです。
小五郎はバレないように変装して、背を丸めていたかもしれません。バレればどんな処分になるのか。長州藩(萩本藩)に、大変な迷惑をかけることになるのかもしれません。
台場周辺は、警備上、不審人物の侵入を警戒している場所でしよう。
その意味で、老婆が小五郎の正体に注目した可能性があります。
3 老婆は、なぜ茶屋のもてなしを逸脱したのか
普通、お客さんには、愛想のよい応対をするはずです。顔見知りの職人や常連客もいることでしょう。特に江川のような大物代官には、気を遣うはずです。台場は江川の献策により始まり、江川は建造の責任者です。
接待の中心は江川の筈です。
老婆は、場所をわきまえず、単におせっかいでおしゃべり好きで、説教が好きなお婆さんなのか。
老婆には、余程小五郎が気に入ったということなのでしょうか。周りの奴僕や客の出入りを考えると、説教をする場所でもないのです。店頭ですし。
考えられることは、小五郎を不審人物だと警戒したということです。
それだけではないでしょう。
一瞬にして、この青年はなかなかの人物である。幕府の禁を破って、将来を台無しにしてはならないと、考えたのかもしれません。
老婆は裏の意味として『悪んいことしちゃだめよ。あんたのために、ならないよ』と、警告した可能性があります。小五郎の機先を制して、わざと皆の前で大きな声をかけたとしたら、声をかけられた本人は周りから注目されて、悪さなんかできませんよね。
老婆は、小五郎が役人につかまらないように配慮して、なおかつ、これからの生き方について、母のように前向きな思いやりのある示唆をしたと捉えることができます。
老婆は、相当に頭のきれる口の回転の速い人物たと思えます。
4 老婆こそ『ただ者じゃない』
こんなことをする老婆は、何者なのか。
ただの賄とは思われません。老婆こそ『ただ者じゃない』ということです。
老婆は長い人生の中で、様々な地位の人物を見てきたのでしょう。豊かな人生経験があったからこそ、鋭い人間観察により、一見して小五郎を見抜いたのです。
恐らく、台場要塞の建設にあたり、警備の一翼を担っていた裏の役目があったかもしれません。もし不審な人物がいたら、それとなく幕府の警備を担当する役人に通報するという役目を、担っていた可能性はありでしょう。
茶屋の賄、それも老婆ではあれば、客は油断をして口を滑らせてしまうこともあるでしょう。老婆は賄をしながら、様々な客の物腰や振る舞いに目を光らせていたかもしれません。
私は老婆を定年退職した元『くノ一』ではないかと、推定しています。
幕府の隠密の一人で、若い頃は、いくつかの藩の奥女中のような仕事をして、殿様と多くの家老や家臣を見てきたのではないでしょうか。
町人街の茶屋の経験だけでは、小五郎に、こういう話をすることはできないと思われます。
5 老婆の言葉を小五郎はどう受けとめたのでしょうか
受け手の小五郎ですが、うかつに反応すれば、正体がバレてしまいます。たぶん、奴僕のあいだの会話に対しても、寡黙だったかもしれません。萩の方言がでてしまうと、長州藩の出身であることが露見してしまいます。小五郎は、役者魂で、そつなく江戸の言葉で会話をしていたかもしれません。
はたして、老婆の言葉で、小五郎が単純に喜ぶでしょうか。他の奴僕がどう反応するかと、とっさに考えをめぐらし『やばいな』と思った可能性はあります。
小五郎は老婆の言葉の表と裏の意味を一瞬で悟り、とぼけながらも、それとなく頭を下げたかもしれません。空中で、二人だけの言葉にならぬ会話が交差したのです。
江川が茶屋を出発するとき、小五郎は従僕として、きっと一行の最後尾についたことでしょう。
老婆は店先で一行をいつまでも見送り、小五郎はというと、ふと振り返って『大丈夫ですよ。婆さんの言葉は、けっしてわすれません』と婆さんに軽く頷いたのではないでしょうか。
きっと老婆はこの若者は伸びると確信したことでしょう。
6 もう一人、気がついた人物がいる
実はもう一人、気がついた人物がいると思われます。
それは、江川太郎左衛門、その人です。
小五郎が奴僕として随行するにあたり、齋藤弥九郎が江川に依頼した時、江川にはこの時点では小五郎の正体は告げていないらしいのです。告げたら、江川が断るのは必定ですから。
「力のある若造が知り合いにいますんで、弁当でも担がせましょう」
といった程度の話でしょう。
でも、3000人の門弟がいる剣術道場練兵館の師範からの依頼です。江川も弥九郎から指導を受けています。江川にすれば、小五郎を弥九郎の門人の一人だと、容易に推察できることでしょう。
全国の藩から練兵館に入門してきているのです。江川が小五郎をどこかの藩士であろうと考えたとしたら、弥九郎に親しい江川が弥九郎の意図をくみ取って、素性を聞かなかったということはありえます。
開明的な代官である江川が、あえて目をつぶり、弥九郎を信じて小五郎を奴僕に入れることを承諾したのでしょう。奴僕になる青年に弥九郎が目をかけているのですから。
きっと、茶屋を出たときに振り返ったのは、小五郎だけではなく、先頭を行く江川も、ちらと目を後ろに走らせたことでしょう。
7 小五郎のその後と台場
後日、小五郎は江川塾に入門して、西洋の砲術を学びます。最新の西洋兵学を学ぶわけです。きっと江川は小五郎を見て、やはりあの奴僕かと、苦笑したかもしれません。
小五郎の維新の活躍は、幕府の代官から学んだ学問知識も、大いに役に立ったことでしょう。
江川の献策から始まった台場の建設は目標の11基には遠く及ばず、財政難から5基が完成して、2基は途中で中止となります。ついに、大砲が並ぶ台場を実戦では使うことはありませんでした。維新の成果のひとつかもしれません。
小五郎が長州藩の密命を帯びて、台場に潜入したという線はどうでしょうか。記録からは、本人の希望での潜入が順当ですね。忍者的な設定には無理があります。面白い設定ではありますが。
山尾庸三には、木戸孝允も複雑な経緯は面倒で話さなかったとも受け取れます。よき青春の思い出と木戸が整理したのを、山尾は素直に受け取ったと。