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桂小五郎は未開拓のヒーロー

 NHKの大河ドラマでは、桂小五郎は脇役ですね。いつも中心は、坂本龍馬や西郷隆盛、勝海舟です。
 桂小五郎に関する小説や歴史書も多々あるのですが、志士として活躍する歴史的な記録の範囲を中心に、描かれているように思えます。この場合、どうしても記録の影響で、外側から描くことになりがちです。
 桂小五郎は二十歳で江戸遊学に旅立ちますが、二十歳以前の萩時代の記録はわずかです。ここに桂小五郎の魅力を解き明かす鍵があるのではないでしょうか。
 小説世界で桂小五郎の魅力は、まだまだ未開拓であると思えます。
 人格形成の重要な時期である二十歳までを内面から描き切る。この時期をターゲットにして、時代小説形式のアイデンティティ―小説を描ければ、新しいエンターテインメントが創れるのではないでしょうか。
 そこで創作にあたり、いくつかの切り口を上げてみたいと思います。

1 小説世界では『リーダー』がヒーローのなりやすい。

 桂小五郎が描きにくい理由は、これではないか。
 桂小五郎は組織の頂点でリーダーとして力を発揮したのではなく、スケールの大きい『マネージャー』として、『維新をマネジメント』しようとした人物ではないでしょうか。
 仕掛け人型のマネージャーは、自分の地位にはこだわりません。
 どのような立場からも、常に囲碁や将棋の達人のように、何十手も先を読んで人を動かす手を打つのです。
 これが桂小五郎を小説化しにくいところです。

2 二十歳以前の記録は限られている

 日記は江戸へ出発する二十歳からしか残っていません。
 あとは、研究者の妻木忠太氏の調査や伊藤痴遊氏の取材などでしよう。
 記録の空白期間こそ、時代小説の手法で、ドラマを創造する余地があると考えます。
 記録が少ないからこそ、可能性があるというわけです。
 前後の出来事の間に何があったのか。因果関係の分析を土台として、大胆にドラマを創造することも可能かと思います。

3 いくつもの疑問点の例

① 吉田松陰との出会いは藩校明倫館
 二人の出会いは、松下村塾ではないのです。
 松下村塾の時期は、小五郎は江戸にいます。
 桂小五郎は、藩校明倫館時代に、松陰に兵学入門起請文を出しています。
 ただし、これは桂小五郎が提出した月だけでも30人もいます。全体では200人以上も提出しています。形式的ですね。
 では本当の出会いは何か。
 なぜ松陰は小五郎を「事をなす才あり」と判断したのでしょうか。
② 江戸遊学の選抜5人の枠から漏れた
 江戸到着後、たった1年間で、江戸三大道場(稽古場)の一つである練兵館の塾頭になったわけです。これほどの逸材が、なぜ萩では江戸遊学の選に漏れたのでしょうか。
 桂小五郎は最終的には自費での遊学を許可されたのですが、自費だけでは選に漏れた理由が弱いです。
③ 毛利慶親の親試に二回も選ばれる
 明倫館では、あまり学問に身が入っていなかったらしく、成績は中くらいらしいです。トップクラスの成績だと、高杉晋作のように寮に入れます。
 小五郎は自宅からの通学でした。
 では、なぜ二回も明倫館の代表として選ばれて、お殿様の前で詩を吟じることになったのでしょうか。
④ 家族の影響
 実の父である和田昌景は、医師でありながら経営力のある人です。家禄20石で、なんと800石を超える資産を築きました。
 また騒動をまとめ上げる弁舌もあり、ユーモアの逸話も残っています。
 この実父の影響は大きいと考えます。
 こうした周囲の無名の人々との関りは、どうだったのか。自我形成にどんな影響があったのか、はっきりしません。
⑤ アイデンティティーの危機
 桂小五郎は、医家である和田家に生まれた初めての男子ですが、跡継ぎは養子の文譲です。
 また、桂小五郎が養子として入った桂家も、養父母が半年以内に亡くなってしまいます。
 しかも、和田家の実父母すらも、小五郎が十代で亡くなってしまうのです。お先真っ暗になったことでしょう。
 母が亡くなった時、引きこもり、桂小五郎は『坊主になりたい』などと言っていたそうです。
⑥ 腕白のエスカレート
 額の傷は、船頭をからかかい、櫂で殴られたものらしいです。
 子供同士の腕白は当時普通でしょうが、飽きて大人を玩具にするとは相当なレベルの腕白です。
 まあ、自分の経験からしても、ここまではやらなかったなと思います。
 額の傷だけが逸話として残っていますが、腕白仲間の中で、どうエスカレートしていったのかは興味がありますね。
⑦ 江戸で母の命日に一日引きこもる
 小五郎の江戸時代の日記に、実父母の命日に落ち込み、一日中部屋に引きこもったとあります。
 実父母といっしょに暮したころを、後悔の響きを持って「放埓であった」とも書いています。
 腕白だけでなく、この『放埓』とは具体的には何か、想像したくなります。 

4 目覚めていくプロセス

 桂小五郎が『世界』に目を向けて目覚めていく萌芽が、この萩時代にあったのではないか。それは江戸での多彩な活動に表れています。ではきっかけは何だったのか。


 とまあ、いくつかの私なりの関心をもった代表的なキーワードを例示しました。
 私としては、チャレンジとして、小説ならではの自由な推理と洞察をしてみたいと思った次第です。
 創作大賞にどうか検討中ですが・・・・・どうしようかなあ。

付録 桂小五郎、面白リンク集 

幕末にタイムスリップ、山口県「萩」旅行の写真

萩の木戸孝允邸で発見したこと 

桂小五郎の妹、治子の写真を読む


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