ファンタスティックコント~命の声が聞こえる編~
① 雄を食べる珍しい魚
餌のほとんどない北の海。海底は限りなく静かでした――
この魚の雌は生きるために、雄を食べなければなりません。
雄もよくわかっていました。食べられる日に備えて、雄は体をいたわってきました。
雌がうつむいて、首を振りました。
「私はあなたを食べたくない」
「もう受精は終わったんだ。僕の残った仕事は、君に食べられるだけだ。僕を食べなければ、卵を孵化させたり、小魚を育てることはできないよ」
雌は激しく泣きました。
雄は優しく慰めました。
「僕はこの生き方を、お母さんから教わったんだ。だから、君も小魚が生まれてきたら、同じことを教えなければいけないよ」
「私は母さんが嘆いていたことを、よく覚えているわ。『こんな悲しい定めがあるのなら、この世に生まれてこなければよかった』と」
「生まれるか生まれないかは、選ぶことができないよ。ただ受け入れるだけだ」
「私はあなたを愛しているの。だから、あなたに私こそ、食べてほしいの。それが私のたった一つの望みなの」
「だめだ。そんなことをしたら、僕たちの一族は滅びてしまう。それこそが、わがままというものだ」
雄の声は厳しいようで、どこまでもいたわるような響きがありました。
こうして、ついにその時が来ました。
空腹で死にかかった雌は、雄を食べたのでした。
しばらくして、卵から元気な雄と雌の小魚が生まれてきました。
特に雄の小魚は、食べた雄とそっくりでした。
雌は雄の小魚たちに語りかけました。
「これから、雄の定めを話しましょう」
雄の小魚たちは、並んで母の声を聴きました。
「はい、お母さん」
「私の体の中に、お前たちのお父さんはいるの。雄は雌に食べられるのよ。雄は雌に愛されて、雌を悲しませる運命なの。だからお前たちは、けっしてお父さんに会うことはできないの。でもね、お前たちは、お父さんの生まれ変わりでもあるんだよ」
雄の小魚たちは、ひたすら真剣に顔を寄せ合って、母魚を見詰めていました。
「お父さんに会いたくなったら、お前たちの中に、いつもいると思いなさい。お前たちの体と心の中にね」
雄の小魚たちは顔を見合わせました。
「僕たちの中に、お父さんがいるだ」
雌の小魚たちが、前に出て来ました。
「お母さん、私たちの定めを教えて」
母魚は、今度は雌の小魚に語りかけました。
「お前たちはお母さんには会えるけど、やっぱりお父さんには会えません。でも、いずれ夫になる雄魚に、出会うことになるでしょう。その時は雄魚の中に、お父さんがいると思いなさい。それが唯一のお父さんに出会える方法なのよ。お父さんと一緒になりたかったら、その雄魚を食べるのです。一つになって、卵を産んで育てるためにね」
雌の小魚たちは、目を伏せてしまいました。
「卵から生まれてきた小魚の雄を、お前たちは、お父さんの生まれ変わりだと思いなさい」
母魚は疲れ切った顔をしました。
最後の力を振り絞りました。
「こうして生まれ変わったお父さんと出会えたら、もうお前たちは長くは生きることはできません。それがお前たちの定めなのです」
「はい、お母さん」
雌の小魚たちは、小刻みに首を震わせました。
「もう思い残すことはないわ。さあ、みんな、旅に出なさい。出会いのためにね」
母魚は小魚たちと別れました。
一匹になると、母魚は岩の下に入って横たわりました。
こうして静かに息を引き取りました。
② 土はふるさと
山奥の寒村に、駅が一つだけありました。
線路のまわりは雑草だらけでした。
村はずれに住んでいる老夫婦が、孫夫婦に付き添われて、駅のベンチに腰かけていました。
一両の電車が止まっていました。
車掌がホームに降りて、老夫婦に声を掛けました。
足の不自由な老夫婦は、孫に手を引かれながら、やっとのことで車両に乗り込みました。
中には、すでに村の知り合いが、乗っていました。
「やあ、待っていたんだよ」
温かい声が老夫婦にあちこちから掛けられました。
車内に村人が全員揃うと、車掌が深々と頭を下げました。
「お待たせいたしました。本線は本日をもって最終となります。お客様には、長年ご利用をいただきまして、誠にありがとうございました。ここに、心より御礼申し上げます」
村はこの最後の電車で、廃村になるのです。
村は子供たちが都会に出て、高齢化が進んでしまい、もう限界でした。里の町に、みんなで引っ越すことになっていたのです。
一つの車両に乗った村の人々は、小学校も中学校も同じ分校でした。
車両の中は、まるで同窓会のようでした。
みんなでならんで、記念写真を撮りました。孫夫婦が何枚も写真を撮ってあげました。
みんなが自分の席に戻り落ち着くと、車両が大きく振動して、ゆるやかに動き始めました。
藁ぶき屋根が、森の中に点在していました。
老夫婦は、ひたすら目に焼き付けるようにして、遠ざかる屋根を窓越しに見つめていました。
みんなは押し黙って、離れていく村の最後の姿を見つめ続けました。
車両は少しずつ速度を上げていきます。
老夫婦もほかの乗客も、手を挙げると、誰もが人の住んでいない村に手を振りました。
電車は警笛を鳴らしました。
村は後方の山間に、姿を消しました。
何年かたって、孫夫婦が使わなくなった駅にやってきました。
背中には、リュックを背負っていました。
山間の道を歩いてきたのです。昔の村はすでに森の中に沈んでました。茂みが小屋や藁ぶき屋根を覆っていました。
線路は胸ほどにまで伸び続けた雑草に、すっかり覆われていました。よく見ると、雑草の茂みには、獣道ができていました。
二人は線路の脇にしゃがみこむと、雑草を抜いて土を掘りました。
リュックをおろして、中からファイルを取り出しました。車内で撮った記念写真を取り出しました。皆の笑顔がそこにありました。
地面に写真を置くと土をかぶせました。布団をかけてあげるように、そっとのせていきました。
二人は土に軽く手を合わせると、駅を後にしました。