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創作の受け皿は何か

創作の流れを自分なりに分析してみました。

1 モチベーション


 自分の中に活火山のマグマのように、イライラしたものが貯まっているのなら、なにかしらの創造的なエネルギーがあるのでしょう。
 ストレスや不満だけではない何か。怒りや悲しさや虚無感だけではない何か。日常生活だけでは満たされない自分を扱いかねている時、必要なのは何か打ち込めるものがほしいということではないでしょうか。
 もっと強烈な充実感をもとめているのなら、何かに取り組む時が来ているのです。

2 創作の受け皿


 そんなとき、何か表現したいと思うなら、自分の中のエネルギーを受け止められる『創作の受け皿』を見つけることが大切です。その受け皿が自分に合っているかどうか人により千差万別です。はっきり言って、人数分の異なる創作の受け皿があると思います。絵画だって音楽だって色々です。ましてや、言葉の世界になると分野は膨大です。
 自分に合っているかどうかは、自分にしか分からない。取り組んでみて、没頭できて溢れるようにアイデアが湧いてくる。完成した時の達成感がある、充実感がある。直感的に自分にはこれが合っているなと思える。
 逆につまらない、続かない、アイデアが湧いてこない、集中できない、解放できないのなら、それは自分には合っていないということでしょう。会わないことを続けるのは、苦痛以外の何物でもありません。求めるものがないのなら、心の接点がないのなら、こころのエネルギーがかえって溜まる一方なら、その方法は、自分には創作の受け皿には相応しくないということです。周りから「なんでやめるの。おしいね」と言われても、やめたほうがよいでしょう。

3 創作の先にある鑑賞者の受け皿


 自分の創作の受け皿が見つかり、作品が出来上がったとしましょう。このまま趣味として自分なりに満足してしまうのもいいでしょう。それこそ基本だと思います。
 しかし、この段階だけでは飽き足らない場合、次の段階では、第三者の鑑賞に堪える作品にしたいという欲求が湧いてきます。ここから、工夫や技術の修行が始まるわけです。
 音楽が「騒音から名曲に」生まれ変わることができるのか。「駄文が名文に」生まれ変わることができるのか。「落書きが名画」に生まれ変わることができるのか。
 『鑑賞者の受け皿』を意識した時から、鑑賞に堪えうる修行としての創作の鍛錬が始まるのでしょう。これを辛いと思うか楽しいと思うかは、人さまざまです。創作の取り組みが趣味からライフワークに変わったのですから、お仕事っぽくなるわけです。では次の段階は。

4 編集者の受け皿


 正直のところ、この段階は自分には語るほどの経験がありません。入選したり地方紙に掲載していただいたりしても、まだまだです。
 鑑賞に堪えるものを創ることから、プロの編集者が「お金を支出して出版するだけの価値がある」と判断するか、さらに「読者が買ってくれるだけの価値がある」か、ということになります。
 創作者がプロ化できるかは、編集者等の『プロの受け皿』を計算して創作できるようになった時でしょう。
 需要とニーズのバランス、いわば経済の世界に足を一歩踏み込むこむことになります。ライフワークなどと自称するレベルとは次元が変わることになるのでしょう。
 ただし、現時点のプロの世界が、開拓されたすべてではないのも確かです。新しい分野を開拓することも重要です。既存の分野は、たくさんの供給で需要が埋まっているのなら、後発の者が入り込む余地はないのでしょう。後発でもプロの視点で「勝負できる作品」ができれば、いいのでしょうが、これは非常に難しいことでしょう。

5 新しい受け皿


 ここから『新しい受け皿』の取り組みやチャレンジが、始まるのでしょう。幸い環境が整っています。インターネットは、まさにその世界だと思います。ネット世界は百花繚乱と言ってもいいでしょう。
 自分としてはいくつかチャレンジしたい企画があるのですが、はたしてどうでしょうか。noteに書いているとアイデアが湧いてきます。とても助かります。『人生はチャレンジ』。  では、また。

追記ーまた、見出しの処理で苦労しました。見出しと本文の間は、ただのenterで改行しないとだめですね。
 見出しと本文を、sift+enterで改行して、見出しだけを、Tの処理をすると全文が指定されてしまいました。
 長文を掲載するのなら、この見出しのテクニックは身に着けたいところですね。






 



 


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火山竜一  ( ひやま りゅういち )
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