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「今が一番楽しい」 倒れても働いた日々が作った今日

「ひとすじ」は、”50年以上ひとつの仕事を続けている”方々を、フィルムカメラを用いて写真におさめるプロジェクト。
個人が自由に仕事を選べるようになり、転職や職種転換も当たり前になった現代だからこそ、その人々の生きざまはよりシンプルに、そしてクリエイティブにうつります。
このnoteでは、撮影とともに行ったインタビューを記事にしてお届けします。
2024年10月11日よりクラウドファンディング実施。
2024年11月22日-24日の3日間、東京原宿のSPACE&CAFE BANKSIAにて写真展開催。記事だけでなく、支援と来訪心よりお待ちしております。

駄菓子屋「菊地商店」にようこそ!
入場料は笑顔。みなさんの元気な姿が、店に立つ特効薬です。

菊地さんは、毎日欠かさず薬を飲んでいます。営業中に一度倒れてしまい、引退もよぎりましたが、それでも店頭に立ち続ける理由は「ここにいる時間が一番楽しいから」。実は私ライター増田の祖母も自営業をやっていたので、彼女の姿はどこか祖母に重なります。無理のない範囲でショーマストゴーオンしてほしいですね。

大森駅近くのお菓子の森。大人も気づけば子どもになっちゃう?買いすぎにはご注意を(笑)
それでは、いってらっしゃい!!


子どものみんな、オラに元気を!

菊地商店の菊地さん。撮影当時はまだコロナ禍。

ー 家が駄菓子屋って、子どもにとっては夢の国ですね。
菊地さん:おいしいものいっぱいあるもん(笑) 私も子どものエネルギーをもらって元気になっているね。

ー いつからここで商売を?
菊地さん:ここが始まったのは、私が30歳すぎたときのことかな。
お客さんから駄菓子屋やってみたらと勧められて。

ー それから50年、辞めたいと思ったことはありますか?
菊地さん:あんまりなかったね。子どもは「おばちゃん、おばちゃん、大丈夫? やってよ、やってよ」って言う(笑) 大人も「おばちゃん頑張ってね」って言ってくれる。

ー もともと子ども好きですか?
菊地さん:来る子どもはかわいいよ。

ー だから辞められない?
菊地さん:前は毎日やっていたけど、病気しちゃったからね。入院したりして、私の息子は「あんまりやっちゃいけない。適当にやって適当に休んでください」って言うけど。

お店の切り盛りは1人で。

ー お母さんなら120歳くらいまでできそう(笑)
菊地さん:そんなできるわけないじゃん(笑)

ー (壁の貼り紙を見て)メッセージたくさんありますね。
菊地さん:いっぱいあるよ。子どもから書いてもらった手紙。

ー この辺は小学校の数も多そうですね。
菊地さん:多いよ。

ー じゃあ学校終わってみんなが来る。
菊地さん:そうそう。平日だと。

ー お母さんにとって営業日の水曜日は楽しみな日ですね。
菊地さん:帰ってくると「おばちゃん!!今帰ってきたよー!」って13時半とかに学校が終わるからね。学校帰りに直接寄っちゃだめだよーって。

ー 1回家帰ってからまた来てねって?
菊地さん:お母さんに怒られてしまうからね。言われるでしょ。学校帰りはダメだよって。一旦帰ってからって。

あの頃のあの子が親に

駄菓子の種類も豊富。

ー この辺に住む人たちは、ここの駄菓子屋で育って来た?
菊地さん:そうそうそう。だからここで遊んだ人が、結婚して子どもができて、ここでお父さん遊んだよって連れて来てるくれる。だから嬉しいよ。

ー あの子だって思うことはありますか?あの時のあの子と面影似ているなって。
菊地さん:顔は覚えているからさ、昔の子どもたちは忘れられないよ
ずっと遊んでいたから。

ー 当時は毎日子どもが来てた?
菊地さん:毎日来てた。めちゃくちゃ喋ってゲーム機で遊んで。今では、子ども連れて来てね。

八百屋から駄菓子屋に

店の奥にはたくさんのコンピューターゲームが。

ー 旦那さんはどんな人?
菊地さん:一生懸命やったってね、「いらっしゃい、いらっしゃいませ」ってね。私より先に逝ってしまったけど。

ー そうでしたか。結婚はいつ頃されたんですか?
菊地さん:早かったよ。私の時代は、恋愛より見合いの方が多かった。
うち八百屋だったのよ。

ー 八百屋だったんですね。ビックリ!
菊地さん:元々は隣で八百屋をしていた。八百屋に嫁に行ったの。

ー 気づいたら駄菓子屋に?
菊地さん:駄菓子屋は私がやり始めたの。ゲームを八百屋に2台置いといた。そしたら子どもがバー集まってきて、こういうものいっぱい置いてよって言われてさ。それでここへ。元々はキャベツ置いたり、玉ねぎを置いたりする野菜の倉庫だった。(義理の)両親に子どもがこんなこと言っているからどうしようと相談して、やってみたらって言われた。

ー 良いご両親ですね。
菊地さん:うん。ここの(義理の)お母さんとすごく仲良かったから。それでやり始めたら、こっちの方が繁盛しちゃって。

家事と仕事で四苦八苦

お客さんがいない時はお店の整理整頓を。

ー 駄菓子屋を始めてからは?
菊地さん:始めてからの方が大変だった。八百屋もやって、主人の兄弟が5人くらいいて、お父さんとお母さんでしょ。それから子どもが生まれて。お店は昼もやって、品物が来るから品出して、ご飯作っての繰り返しで忙しかった。料理も洗濯も掃除もすごく大変だったよ。今の若い人は私みたいにいかないな。

ー 耐えられないですかね?
菊地さん:耐えられないし、自分の生活で精一杯になると思う。親の面倒みながら仕事は大変だよ。自分の子どもを育てるだけでも大変なのに親の面倒見てみなさい。ヒーヒーしちゃうよ。親を大切にね。

ー はい!!
菊地さん:生きるってことは大変だよ。

店で倒れたこともあった

ー いつもお昼は?
菊地さん:食べない時もあるよ。お腹空いたって間が開かないから、食べる暇がない。食べるって言ってもパン1つ。食べれれば良い方。
私の食べるものは全部薬と同じ。朝起きてヨーグルト食べるでしょ、麦ジュース飲んだり、ジャム食べたり、みんな薬なのよ。レバー食べたりしてね。
血の循環を良くする。先生が言っていたから。朝野菜と炒めて食べるの。
薬なんかいっぱい飲んでいるよ。12個飲んでいるよ。

ー 商売していると倒れられないですもんね。
菊地さん:倒れちゃったら大変だよ。昔、ここで倒れたんだから。救急車を呼んだんだから。息子がいたから良かったけど、いなかったらそのままあの世逝ってるよ。だから息子には、そんなの辞めろと今では言われる。くだらないものやるんじゃないよってさ。

菊地さん視点のお店

ー え、なんでこんな素敵な商売を辞めろと?
菊地さん:死にかかりの病気が3つもあるから。

ー それは大変だ…
菊地さん:血液がまわらなくて、ご臨終ですってとこまでいったの。手術もしたし。だから息子が気が気じゃないわけよ、息子に助けてもらっている。

ー 息子さんは今も一緒に住んでいる?
菊地さん:息子は別に住んでいる。息子って言ってももう60歳だよ。

ー 僕らの両親と同じくらいですね。
菊地さん:そうそう。孫は20歳くらいで社会人。

ー 同じくらいですね(笑)息子さんはこの駄菓子屋を継いだりしないんですか?
菊地さん:やるわけないじゃない。こんな儲からない駄菓子屋。

ー 息子さんも小さい頃は来ていた?
菊地さん:ただで食べられるからね(笑) 小さい子は誰もがお菓子好きだよね。

ー それにしても人が途切れないですよね。
菊地さん:そう。途切れない。駄菓子はそれだけ人気があるんだよ。みんなが通る道。1円、2円のお菓子を売っているんだよ。儲からないけど。

店に立つことが“特効薬“ 

緑と白が特徴的な外観

ー いつまで続けたいと考えている?
菊地さん:ボケて続けてもね…

ー お母さんにとっては店頭に立って働いていることが、1番の特効薬だったり。
菊地さん:うん。そうそうそう。私はそういう人間なんで。

ー 今は楽しい?
菊地さん:一番楽しい。

ー 今までで一番!?今までと今はどう違いますか?
菊地さん:ここに嫁に来てそれは苦労して、苦労して苦労した。すごい働いた。今の人じゃこんな嫁はいないくらい。

ー そうですよね。
菊地さん:どれだけ逃げようかと思ったか。だけど逃げると子どもが可哀想だから。私が忙しかったのを知っていたから、子ども達は今でも「お母さん、お母さん」と私を大事にしてくれる。そんな今が1番最高。昔のことがあるからこれだけの幸せがあるんだなと思う。人間は苦労しただけ幸せが後からくるんだよ。あなたたちもこれからの人だから、苦しい時もあるでしょう。3年過ぎれば良いって言うからね。同じ仕事が3年続けば、落ち着くって言うから。我慢して働きな。なんでもそうだよ。

ー お母さんにとって駄菓子屋の仕事は?
菊地さん:私にとっては遊びだよ。私の遊び。

ー 生まれ変わっても駄菓子屋やりたい?
菊地さん:やらないやらない。

ー 今この時代に生まれていたら?
菊地さん:もっといいこといっぱいあるだろうよ。

ー 例えば?
菊地さん:そんなこと考えないよ。健康だけを考えてますよ私は。
それは死んでからのあれだね。何になろうかというのは。

◇取材後記

春分の日が過ぎてポカポカ陽気が心地よい4月中旬。満開だった桜も散って、点々と緑が芽吹き始めてきた頃。
「トゥルルルン♪トゥールー♪」昔懐かしいゲーム音とともに僕たちを出迎えてくれたのは、この道50年、駄菓子屋の菊地商店・店主の菊地さん。

店に入ると、そこは夢の国。目に飛び込んでくるいっぱいのお菓子。お花畑ならぬお菓子畑。うわぁ〜お菓子の宝箱や〜(笑)レジの近くには、子ども達の手が届かない高さに近隣の小学校から届いた「おばちゃん頑張って!ありがとう!」の寄せ書きが大切に飾ってあった。

取材より先に、お菓子を買い始める幼馴染の僕たち。タイムスリップしたかのように学校帰りの少年だった。大人が夢中になる気持ちも良くわかった。
「1回家に帰ってからね。お母さんに怒られるよ。言われるでしょ。学校の帰りはダメだよって。一旦帰ってからって」と菊地さん。学校と母親によく言われていた気がするこのフレーズ。これもまた懐かしい(笑)

駄菓子屋があるから生まれる会話だが、近年憩いの場として子供達が訪れる駄菓子屋が少なくなってきているのは、紛れもない事実だろう。単価が安いお菓子は利益率が低い傾向にあり、子供が少ない現代は儲からない。
そんな中、社会の波に逆らって店頭に立ち続けることがどれだけ大変なことか、菊地さんに聞いてみた。

「私にとっては遊びだよ」そう、菊地さんにとっては“遊び”。仕事とは非なる答えに私は考えてみた。遊びが仕事ではなく、遊びが遊(すさ)びと。菊地さんの根幹にはいつも子どもがいて、子どもが遊べる場所を提供することで、菊地さんは心の遊(すさ)びに任せて大好きな駄菓子屋を続けているように感じた。だから、菊地さんの遊びに仕事という意味は一切含まれないと感じた。

「ここで倒れた」と菊地さん。店にいたある日、突然視界が真っ暗に。あの世に行くことも頭をよぎったらしい。菊地さんにとって病気で倒れた時は一番辛い時期だった。

それでも続ける理由は子どもが好きだから。薬を毎日欠かさず飲んで、健康のために食事にも気を使う。
紆余曲折を乗り越え、「今が一番楽しい」という菊地さんの姿は、まさに我が世の春。やわらかな日が差し、花が咲き乱れる春に人生の絶頂期を謳歌するという言葉だ。

人間誰しも年には勝てないが、菊地さんは今日も子どもからエネルギーをもらって店に立ち続けているでしょう。この記事を書いた日は水曜日、僕らの菊地さんが店にいる日。元気な姿を思い浮かべて、これからも元気に!増田より。
書き手:増田 亮央(ますだ りょお)

1年越しの記念写真

駄菓子屋『菊池商店』
 東京都品川区南大井4-14-19
 営業日時:毎週水・金・土・日 10:30〜17:00
 定休日:月・火・木曜日

取材/ライター:増田 亮央
編集:新野 瑞貴
監修:後藤 花菜
撮影:中村 創

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