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3.11 あの日私はシカゴにいた。

今日は3月11日。あの世界中に衝撃を与えた大震災と津波の日から気づけば10年も経っていた。ふと10年前のあの日、自分が何をしていたのかを思い出すうちにどこかに残しておきたい気持ちになってNoteを登録してみた。自己紹介も何もかもすっ飛ばして、これが私の初めての投稿になる。

あの日は留学中のアメリカにいた。ちょうど春休みだったと思う。せっかくの休みということもあり現地の知り合い家族が私と数人の友達をシカゴに連れて行ってくれるというので、前日からその家族の家に泊まっていた。1週間ほどの長い休みの始まりと勉強から解放された嬉しさに加えて、とうもろこし畑以外には何もない田舎町から大都会であるシカゴにいける事実にワクワクしながら友達と眠れずに朝方までたわいも無い話に夢中になっていた。そろそろ眠りにつこうかという話をしていたところに大学の寮に残っていた友達からメッセージが来た。「日本が大変なことになってる!家族や友達は大丈夫?」と。私が泊まっていた現地家族の家にはネットもテレビもなく、その当時私の携帯はネットには繋がらないものだった。一緒にいた友達も同様にネットは使えず、一体日本でどんな大変なことが起きているのか想像もできなかった。「何があったか教えて」と友達にメッセージを送るとすごく大きな地震があったらしい、と。その時はまさか津波まで来ているとは知らず、日本では地震はよくあることだし耐震性のある建物も多いからそこまで被害は大きく無いだろうと思い、半ば安心しながら眠りについた。

数時間だけ寝て、早朝にキャンピングカーにてみんなでシカゴに出発!田舎町からはシカゴまで4−5時間かかったと思う。情報を得られない日本の地震のことは寝たことによりほとんど忘れて道中を楽しんでいたと思う。お昼前に無事にシカゴに到着して観光やショッピングを楽しむぞ、と友達と意気込みながら街に繰り出した。すると通り過ぎるたくさんの人たちに声をかけられる。「あなた日本人?I'm so sorry for what happened in Japan. 家族は大丈夫なの?」現地の人、シカゴを旅行中の人、いろんな人が声をかけてくれた。その時になってやっと事の大きさに気づいた。これだけの人が声をかけてくるほど日本はきっと大変なことになっているのだと。すぐにテレビがあるカフェに入った。テレビの映像をみた瞬間足に根が生えたかのように体が硬直したのを覚えている。そこには想像を絶する津波の映像が映し出されていた。正直本当にこんなことが日本で起こっているのか半信半疑になるくらいの衝撃だった。カフェにいた周りのお客さんも気遣いの声をかけてくれていたがテレビから目が話せなかった。本当にこんな大きな津波が一瞬でいろんなものを吸い取っていくものかと。あまりの衝撃にそれからの観光やショッピングのことはあまり覚えていない。なぜこんな時に限ってネットが使えない、みんなと連絡が取れない状況にいるのかと悔やんだ記憶だけは残っている。

次の日、寮に帰ってからようやく家族や友達の無事が確認出来た。ネットで詳しい情報を読み漁って何か出来ることはないかと模索した。現地にいる日本人ですぐに寄付金を募る催しをすることにした。持ってきていた浴衣を着て書道を教えたり鶴を折ったりと現地で出来る日本の文化に触れてもらえることを楽しんでもらいながら寄付金を募った。少ない日本人だけで準備するのは大変だろうと、ボランティアとして各国の人が手伝ってくれた。そのおかげもあり、催しは大成功し寄付金も予想以上にたくさん集まった。シカゴの街中でもそうだったが、大学の名前も知らない人たちも声をかけてくれて募金をしてくれた。改めて人の優しさやぬくもりを感じた。

あれから10年。時が経つとどうしても当時の気持ちを忘れがちになるけれど決して忘れてはいけない。どこにいても10年前のあの日を覚えている人は多いかと思う。一人一人にあの日の様々なの想いがあり、思い出がある。私はあのシカゴの日を毎年思い出すんだろう。あの時みんなにもらった想いを少しずつ他の場所で返していきたい。困った時はお互い様の精神で私に出来る身近なことをこれからも積み重ねていきたい。

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