【#noteとTwitter】それが当たり前だと思ってたけど違うみたい
note公式さんが企画した上のイベントに参加してきた。
「さすがお猿さん!」
「向上意識最高です!」
と、様々な賛辞が飛び交っているところ悪いが白状するよ。
「読まれる文章術」なんて言われたら気になるじゃん!
目をギンギンにしてビュー数を伸ばそうとしているわけではないけど、書いている以上は読まれたい。
そんな邪な気持ちがあって参加した。
内容はすごく良くて勉強になった。
特に「読み手側に立って考える」という話から「多くの人はスマホでnoteを読む」って話にハッとした。
だってnoteはPCで書くんだもん。
だからPCで読む感じをイメージしちゃうし、自分で書いたものだから自分視点から書いたものを読んでいる。
で、「いいものが書けたぞ」と意気揚々に投稿するけど読まれない。
なぜなら、読み手側の気持ちを考えていないから。
という学びを得た。
この視点は忘れがちなので肝に銘じる。
まぁイベントの感想はこんな感じでいいでしょう。
今回は他に言いたいことがあるのだ。
「僕ら昭和世代は『へー』と思う」
そんなことを司会者の方が言っていた。
僕はこれに衝撃を受けたのだ。
この発言が出たのは「すずさん」という方のnoteが紹介されている時だった。
すごいスキの数だなと。
彼女が過ごした日常を軸に、社会で起きていること(執筆当時はコロナ初期)への意見を書く。
だけど軸が彼女の体験談だから「社会の問題をあぶり出そう」とか「こういうことが起きている」とかのバズ狙いが無い。
それが逆に共感を得て拡散された。
そんなことをゲストの奥山さんが話した後「今どきだな」と。
すると司会者の方が「僕ら昭和世代からすると記事は読ませるものだから」と言っていた。
その発言には奥山さんも「うんうん」と頷く。
いやいや、待て待て、それが普通でしょ??
僕はそう思った。
バズを狙う、いいね数を稼ぐ、見てもらう、読んでもらう。
そのためには共感が必要である。
だからありふれた日常を自分の視点から発信していこうと。
インスタのストーリーなんてまさにそれ。
「ディズニー行った」ってストーリーなんか、みんな投稿してる。
そこに自分も乗っかるのは、自分の視点を共有して見てもらいたいから。
それが当たり前。
人が持つ承認欲求が、スマホ、SNSというツールによって満たされていく。
なんら不思議なことではない。
でも動画に映るお二人には、それが異風に見えるらしい。
「僕ら令和世代は『へー』と思う」
1文字違うだけでこんなに違うのか。
と言っても、時間の流れってそういうものなんだろうなと。
僕はそういうものだと感覚的にわかっていたけど、今回の企画で奥山さんが「希少性と再現性が同居できる」と言語化をしてくれた。
希少性ってのは「その人にしか無い視点」。
再現性ってのは「誰でもできること」。
この二つが「同居する」。
つまり、「ディズニーに行く」のは誰でもできるけど、自分が自分自身の心身を持って「ディズニーに行く」のは自分にしかできないよと。
これが「希少性と再現性の同居」。
僕には絶対にできない表現。
だってこれを「時代」として捉えてないもの。
それが普通であり、基準である。
もう体に染みついた感覚的なもの。
これは奥山さんも同じだと思う。
昭和の感覚を基準として生きている。
そして感覚とはズレた時代が目の前にやってきた。
これは理性や知識で理解するしかない。
だから「希少性と再現性の同居」という言葉で表して、僕のような若造に教えを与えてくれた。
この言語化は、昭和を生きた先輩方なら誰でもできる。
だけど朝日新聞を経てwithnewsを立ち上げた奥山さんにしかできない話でもある。
誰でもできることを自分の視点から表現する時代。
これを読み手側の気持ちも考えながら発信していくことで「読まれる文章」が作られる。
さて、これからどんな表現が生まれるのだろうか。
そして僕の感覚が現実とズレだした時、僕は後世に教えを残せる人であれるだろうか。
無理だね。だってお猿だもん。人じゃ無いもん。
でも、誰か一人だけにでも影響を与えられるよう、これからも楽しんでnoteを書いていく。
ということで終わり!読んでくれてありがとう。スキやコメントよろしくね。
じゃあ、また。
【今回参加した企画の本編が、下から見られるっぽい】
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