東京ドームを増築する
東京ドームでグチャグチャの観客席を作る。その真ん中で歌い踊る。
これは今まで何回もnoteで書いて来た僕の夢。
しかし、ふと疑問が湧いてきた。
「すべてをグチャグチャにしたら逆の僕が生まれるのでは?」
この夢の発端は、僕がライブに行った時、観客の反応が画一的だからスピーカーの位置によってリズムがずれて聞こえる体験をしたから。
だから逆に、みんなが各々自分で表現を始めたらノれない人が置いていかれる。
で、「みんなで楽しめるライブを作ろう」という人が現れるのでは?と、思った。
それはそれで夢の連鎖が起きてておもしろい。
だけど僕の夢は極端な話ではなく、中庸的な夢である。
合わせるところは合わせ、静かな時はしんみりし、盛り上がる時は大いに盛り上がる。
そんな「メリハリ」の意味も入っている「グチャグチャの観客席」なのである。
最初に夢を語った時は「東京ドームをぶっ壊す」みたいな過激なことを言ったけれど、今の認識としては「東京ドームの増築」。
夢のきっかけは画一的なところと言った。
その「みんなが同じ」というのを抜け出したい思いがあったのに、それを表現できる自分では無かったし、それが許される環境じゃなかった。
だからあの時の自分と環境を壊して、みんながそれぞれの表現ができる東京ドームを作るという夢を持った。
だけど今は観客の画一的な部分も必要だし、自分を表現せず人の表現を鑑賞することも必要だと思っている。
そこに「自分を表現する場」を増築する。
元々持っているいい部分に付け加えをして、さらにいいものにする。
「みんなで楽しむ」ことは互いの譲り合いによって達成される。
日常生活がいい例。人のものを盗んではだめ。あなたが盗まない限り法律はあなたの所有権を保護する。あなたのものは盗まないから僕のものを盗まないで。
譲歩。お互いの自制によって社会は動く。
だけどライブという、アーティストとファン一人一人との対話の場面では少し規制を緩めてもいい。
人の目を気にせずにライブを堪能する。
もちろん腕を振り回して隣の人に迷惑をかけるのはダメだけど、自分の好きなアーティストのライブだもん。少しくらい羽目をはずしてもいい。
「音楽を楽しみたい人もいる」
それはBlu-rayでもできる。家で一人聞き浸ってくれればいい。
ライブはアーティストとファンの会話である。
その時にしか表現できないものがある。
その時でしか伝わらない表現がある。
その時を逃して後悔をしてほしくない。
譲り合って社会を生きているんだから、ライブくらい、推しの目の前くらい、自分の表現をしてもいいじゃないか。
そんな環境を東京ドームで作るため、今日も僕は表現者である。
ということで終わり!読んでくれてありがとう。いいねやコメントよろしくね。
じゃあ、また。
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