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全員から「好かれる」ことも「嫌われる」ことも無い

執筆日:12月5日


「全員から好かれることは無い」


表現者であるならば、この認識はとても大事である。


意識しておかないと、何故か「全員から好かれよう」という方向に行ってしまうからだ。


僕も最近、その兆候が見られていた。


Twitterのフォロワーが1400人を超えた、と思ったら切れる。


そんなことを繰り返していると、「何かおかしなことを言ったのでは無いか?」なんて思うときがある。


実情を見れば、スパムアカウントが凍結されただけなんてことがほとんど。


リムられてもよく知らない人だったりする。


僕の発信を見てくれている人は残っている。


その一人さえいれば、あとの1399人から嫌われてもいい。


やっとその心構えに戻って来ていて、回復していっている。


「全員から好かれることは無い」


言葉は理解しているのだけど、行動まで理解できるのはまだ先の話なのだろう。


繰り返して身に染みこませるしかない。


のだけど、今落ち込みの真っ最中って人に「全員から好かれることは無いよ」って言葉は、追い打ちになる可能性もある。


実際僕もそうだった。


「好かれたい」という想いを否定されるのは心苦しい。


だからこの言葉を贈る。


「全員から嫌われることも無い」


フォロワー1400人全員に好かれることは無いけど、少なくとも1400人は嫌っていない。


ということはもしかしたら、「好かれている」可能性もあるということ。


なんか「もしかしてオレのこと好きなん?」みたいな感情に似ているけど、それで動けるのならそれでいい。


嫌いな人をフォローはしない。


つまり最低限、煩わしさは無いのだ。


だから思う存分、好きなことをつぶやけばいい。


僕の発言を「お猿節」と呼んでくれる人がいる。


人の気持ちに寄り添う優しさは無く、スパッと切る。


人から見れば、残酷なことに見えるのだろうけど、当の本人や見えてる人にはわかるものがあるらしい。


僕にもよくわからない。


だけど、マジで思っているからそう発言している。


何の穢れも無く、心から出る純粋な言葉。


それが響いているのだとしたら、僕はそれをやり続ければいい。


「僕らしい」ってのはそうゆうこと。


それを好いてくれる人はいる。


その人達に向けて話していることを公の場で言う。


そうすることで聴衆が集まる。


街頭演説みたいなものね。


僕の主張と、それを支持してくれている支持者。


そこのやりとりに興味を持たせれば、聞いてくれる聴衆が増える。


そうやって名前を覚えてもらい、どこかで見かけたときも同じことをする。


そうやって支持者を増やしていく。


全員に好かれることは無い。しかし全員に嫌われることもない。


表現者の心得。


ということで終わり!読んでくれてありがとう。スキやコメントよろしくね。


じゃあ、また。


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