毒親育ちの人を精神分析したら・・・
毒親育ちの人の特徴は、たとえば以下だとされているようです。
死んでも実家に帰りたくない
緊急連絡先を書きたくない
躾という名の洗脳
他人に相談出来ない辛さ
鍵を回す音が嫌い
介護するくらいなら絶縁する
などなど。
そういう毒親育ちの心の中は、たとえば以下のように説明されています。
――他者からよく見られたい、好意を勝ち取りたいという強い願望を抱えて生きます。彼らは誰からも拒絶されたくないという恐れから、人を喜ばせ、評価されるために無尽蔵のエネルギーを注ぎます。それは、彼らが愛情を受けるために、他人の期待に応えることがどれほど重要であると学んだ結果です。その根底には、他人との繋がりと承認を切望する心、そして、自己を犠牲にしてでもその願望を満たそうとする深い不安と渇望が存在します――
毒親育ちとひとくちに言ってもさまざまなケースがあるので、一概には言えないものの、上記のような特徴をもっている毒親育ちの方もいらっしゃるでしょう。
さて、心理哲学にみる親育ちの人の心は、つねに葛藤している点に特徴があります。
「親きらい」という自分と「親に好かれたい、親を好きになりたい」という2人の自分がつねに心のなかで葛藤している。
だから苦しい。
むろん、葛藤などなく、ただただ「親死ね」としか思っていない人もきっといるでしょう。しかし、そういう人だって、嵐がおさまれば、すなわち憎しみが薄れると葛藤が生じるでしょう。
「親きらい」というのは、現実に親にイヤなことをされている「この自分」が思っていることです。
他方、「親に好かれたい、親を好きになりたい」という「理想」を夢想するのは、これは自分の意思を超えた「なんらか」が、あなたの心にもたらしている気持ちです。
その「なんらか」のことを、夏目漱石は「不可思議な恐ろしい力」と呼びました。ラカンは反復強迫と名付けました。キルケゴールは永遠と名付けました。
つまり、毒親に起因する生きづらさとは、「この自分」と「永遠」の葛藤が原因なのです。
さて、その葛藤をどうしたものか?
永遠とは、心のなかの非言語領域のことなので、まだ言葉になっていない気持ちを少しずつ言語化してあげる。このことで救われる可能性があります。
あるいは、ラカンは「不幸は2世代前の繰り返しだ」と言っています。つまり、あなたが毒親にあたって苦しんでいるのは、祖父母もおなじだった可能性が高いということです。祖父母の生き様を知り、理解し、共感することで、祖父母を無二の友として生きる――そうすることで救われる魂もきっとあるでしょう。
漱石は・・・・若くして胃潰瘍でお亡くなりになりましたが、則天去私でしたっけ? なんかおっしゃってましたね。
天、すなわち私たちの意思を超えた存在者「X」。こいつにすなおに従って生きようぜ、です。
天をラカンは「2世代前の反復」と言っていますが、とどのつまり、自分が乗せられている大きな運命を知ろうということです。
どうやって知るのか?
永遠を少しずつ言語化したり、祖父母の生き様を知ることで、少しずつ見えてきます。
見えたものは、あなたの生涯の財産です。