古びたドアの向こうにあったのは、虎澤百貨店の事務室だった。 「失礼いたします……」 おそるおそる足を踏み入れると、ごくわずかに煙草のにおいがして、思わず鼻をふすんとさせてしまった。 先を行く佐倉は、それを聞きとがめたらしい。歩きながら、 「紳士フロアの喫煙室から、時どき換気の関係で流れてくることがある。数値としては問題のない範囲だそうだ」 と、説明してくれる。 佐倉の背中を追いながら、私はそっと周囲を見渡した。 そこには昭和もしくは平成前期の時代を彷彿とさせる、「
とある世田谷区の、ちょっとした公園と見まがうような広いお宅に、及川部長と私、佐倉の三人がかりでやってきたのは、納品する品の数が多かったからだ。 対応に出てきたお手伝いさんに挨拶をしていると、杖をついて、奥から人がやってくる。 「おうっ。小売屋ァ。来たか」 なんとも威勢のいい「ご挨拶」。もうすぐ御年九十五歳の小沢様は、ニヤリと笑ってから、及川部長を杖で小突くふりをした。 「小売屋とはまた、ずいぶんですな」 「ナニィ、じゃなきゃ御用聞きが良いか」 「そっちの方が僕は好き
00年代の初め、軽井沢にて 父が所有する軽井沢の山荘では、若手の演奏家を招いての演奏会が夏と秋にあって、そこに演奏者の一人として招かれていたのが、東京藝大に通う彼だった。 十七歳の私は、演奏会と同時進行で行われるパーティーの雰囲気が好きではなかった。 だって会の間じゅう、どんなにつまらない話題であってもずっと、愛想笑いをして会話をしなければならないのだ。 決まって聞かれるのは、進路のこと。それから、縁談の有無について。 高校二年生の私にとって、進路の話題は
あらすじ 「お客様をおもてなしする気持ちや、そのための能力が見て取れる人材であれば、その人が成人である限り、社会的身分や年齢について、当店は差別も区別もしていません」──東京の老舗百貨店の外商部で働く大学生のお仕事は、特殊な事情を抱える富裕層のお客様の依頼に応え、日本全国を駆けずり回ること!? 同じアルバイト先で働いている彼氏に心変わりされた椿あやみは、ある日新人イケメンアルバイトの佐倉伶に、謎めいた誘いを受ける。 「俺は君を囲いたい」と──。 人情あふれるほっこり溺愛ミス