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人を助けるとき。
助けるという言葉。
可哀想という同情。
頑張ってねという偽善。
私はリアルで
本当に自分を助けたいという人に殆どいや、全くと言っていいほど会ったことがない。
助けるとは。
自分と同じレベルの人には嫉妬心、他にも邪悪な思いが湧くから、助けられないものだ。
助けるといっても支援、援助なんかは
確かに良いことなんだろうけど、
自分より下のものと認識した人にしか出来ないんだ。
日々ライバルを助けたいと思えているか?それよりも自分の後輩を助けたいだろ?
あとは助けたいという時、本当は見返りを求めるための手段に過ぎなかったりもする。
友達から相談にのるよと言われても
自分の悩みを話しているうちに、相手の話をよく聞いていれば、そうだよね私もわかるな。といって、自分の悩みが友達の悩みの話に置き換わっていたりする。
確かにその人に恋している時は
自己犠牲してでも救いたい。
でもその自己犠牲は本当は自分に気を引くための手段に過ぎないのではないか。
生産性のない偽善の優しさを私達は繰り返す。
本当に相手という存在を深く理解して、相手を救うことを出来る人はどれだけいるのか。
少なくとも私はリアルでは殆ど出会ったことがない。
同じ苦しみをわかって私を救いたいと思えてもらえた人は、自分の悩みと相手の悩みがリンクしたことで、本心で救いたいと思ってもらえたような気もする。
それだけ人間は利己的な生き物かもしれない。
基本的に相手を守るよりも自分を守りたいと思うんだよ。それが自然だと思うんだ。
でも私達はそれでは生きられない。
1人では生きられない。社会は共存で成り立つ。どう考えても誰かとの共生は避けられない。誰かに救われながら救いながら生きる。
日々の生活を思い返してみてよ。
ご飯も、企業も、使っている商品も、自分だけでは無理だろ。
だから共生で成り立つから
自分を守るためには相手を守らないといけない。相手を守ることで自分を守る。対価を意識しないといけないんだ。
それをわかっている人はどれだけいることか。
皆んな自分を救ってもらう、助けてもらうことしか考えない。
恋人だって、友達だって、親だって、わがままばかりだろ。自分を突き通す。〜してよ。そんな思いばかり抱く。
利己主義では生きられないんだ。
相手に頼られ、助けていくことで、私達の生は豊かなものになる。
だから私は助けたい。そんなことを思う。
人をぞんざいに扱うことが無いように。
相手に寄り添いたいんだ。