#2)選択こそ人生。共有こそ人道。【私の憲法】前文2項解説
【ご挨拶】~健康で文化的なちょうどいい生活のために~
はいさい。こんにちは。社畜のシロです。
健康で文化的なちょうどいい生活を送り続けるための知識を発信しています。
数年前に沖縄から上京して、国家公務員の総合職として霞ヶ関で日々奮闘しております。
この「私の憲法」シリーズは、電車の乗り方を覚えたばかりの新米国家公務員である私が、まぁまぁ激務な社会人生活を、健康で文化的に、かつちょうどよく生き続けるためにまとめた知恵袋になります。
公務員という職業柄もあり、かなり真面目な内容になりますが、出来るだけ面白く、健康で文化的な、ちょうどいい生活の役に立つ記事にしたいと思っています。
数十冊~数百本の書籍、動画、論文等から健康で文化的に生きる知識をギュッとまとめたのが、以下の憲法全文です。
本物の憲法を真似て書いたので、表現がカッチカチすぎて、しかも約1万文字という読みづらいものなってしまいました。
この全文の補足・解説として、#1以降は、1錠ごとに区切って、読みやすい文章にしながら、雑談やたとえ話を交えて投稿しています。
【前文とは】忘れたくない道徳観のまとめ
私の憲法は「私の憲法」は要約すると
健康で文化的なちょうどいい生活を営むためには「絆、健康、お金、貢献感」が必要
という内容なのですが、前文と終章では道徳観についてまとめています。
憲法や優れた書籍、考え方の中から、忘れたくないものをピックアップしてまとめました。
【要約】選択こそ人生。共有こそ人道。
それでは要約から。
自ら考え、選択するという覚悟を持って生きる。
選択の成果は周囲の人たちとシェアして、バトンをつなごう。
【補足・解説】①刺激は選べなくても反応は意思の力で選べる
本文では日本国憲法を真似て、「厳粛な信託」とか「人類普遍の原理」など、生まれてこの方使ったことのない表現を使いました。
理由はかっこつけたかっただけです。許してください。
前文2項のポイントは以下の通り。
1.自分の行動は全て「自分で選択して行った」もの。
2.行動するのは自分で、その責任は自分でとるけど、その行動によって得られた利益や幸せは自分だけじゃなくて周りの人ともシェアしよう。
3.1と2は変わらないルール、原則のようなもので、この憲法はこの原則を大切にします。なので、この原則に反する誰かからの命令や意見、噂について無視します。
いや、もうストレートにポイントの表現で書けや。
そう思ったあなた。正解です。私もそう思います。
でも、敢えて、硬い文章で書くのが私のちょうどいい、なんですね。なんだか文化人っぽいし。
ポイントをさらにかみ砕いていきます。
1と2は私の考えの中でもとても大切にしているもので、いわゆる「自己責任論」です。
政治家が貧困層など社会的立場の弱い人に自己責任論を語って叩かれていたり、何かとこの論者は冷たいというか、弱い立場の人の気持ちが分からない人のような印象を与えます。
しかし、自己責任論は本当に大切な考え方だと思っています。
自分の人生を人のせいにして、後悔や不満ばかり言うのはとてももったいないと私は思うからです。
例えば、試験の結果が悪かったときに
①試験のとき、寒くて集中できなかった。空調が悪いせいで良くない結果だったんだ。
②悪い結果だったのはなぜだろう。今度からどう行動を変えればいいだろうか。
①は他責、②は自責です。
①の他責は他人、周囲の環境のせいなので、結果は自分では変えられません。
議論はそこで終了。相手か環境が変わるのを待つしかありません。
しかし、②の自責は自分に問題があるので自分を変えれば結果が変わります。
どうちらが正しいかといえば、どちらも正しいので、決めることは出来ません。
他責で生きることと、自責で生きること、自分はどちらで生きたいか。
この選択の問題です。まさに、選択こそ人生。
自分の人生の主導権は自分で握りたいですね。
共同体に関する条文でも書いていますが(第1章第3条2項)、他人を変えようとする行為は無駄の極みです。
例えるならば、明日の天気を変えようとする行為とほぼ同じです。
「明日晴れになれ!」と願って、雨が降ったときに「この空は糞だ!」とかいう人をどう思うでしょうか。
健康でも、文化的でも、ちょうどよくもない感じがします。
でも自己責任論の場合だと、晴れて欲しい!でも雨が降って台無しになっても自分の責任だから、傘持っていって雨が降っても大丈夫なようにしよう、
もしくは、雨が降ったら別のプログラムにしよう、など自分の影響を与えられる範囲で行動ができます。
こっちの方が健康で文化的なちょうどいい人生が送れそうです。
【補足・解説】②ポッキーもハッピーもシェアしよう
自己責任論ベースで物事を考えることで、目の前で困っている人がいるのも自分の責任があるかもしれない、何か出来ることはあるか、などの思想に至り、社会問題を解決できるようなサービスが生まれるかもしれません。
これはまさにポイント2の「その行動によって得られた利益や幸せは自分だけじゃなくて周りの人ともシェアしよう」ってやつです。
ポッキーもハッピーもシェアしてバトンをつなげていきましょう。
共有こそ、人道です。
【補足・解説】③他責論者と独占者はスルーしてもいい
ポイントの3は1と2を補強するものです。
ポイント1と2を否定する人の話は聞きません!ということですね。
世の中にはなぜか明日の天気を本気で変えようとしてくる人たちがいますし、自分もたまーになってしまうので気をつけたいものです。
私たちは選択するという能力によって、あらゆる事象を自らの手でコントロールすることができます。
刺激は選ぶことができませんが、反応は自分の判断で選ぶことが出来ます。
というか、アレですよね、殴られてもその痛みを喜びに変えられるドMな人って、そういう意味では最強ですよね。
普通痛いのは皆嫌ですけど、その刺激を喜びに変えられるって、もう最強生物じゃないかと思います。
痛みという刺激すら、不幸と捉えるのか、喜びにするのか、人は選べる能力がある訳です。もちろんだからって暴力が正当化される訳じゃないですからね!
ということで、次回は暴力は許さない、平和主義についての項です(無理やりつなげた感)。(前文3項解説はこちら)
ここまで読んでいただき、にふぇーでーびる。
すべての人が健康で文化的なちょうどいい生活ができますように。
引き続き、ゆたしくうにげーさびら。ではでは、また、やーさい。
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