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カノジョに母性を求めるのは「仕方ない」ことなのか?『メイクアガール』感想(2025年2月11日の日記)


生活

 祝日。しかし自営業者をやっていると今休んで後から仕事がパンクしたら困るかも……と思って中々休めない。昼は残り物のカレー。強制的に休みを取るべく散髪に行き、U-NEXTのポイントでムビチケを買い、上野のTOHOシネマズで『メイク・ア・ガール』を見る。ウッ……ウワーッ!!!!!インド食料品店に寄ってカレー用のパラパラした米を買い帰宅。風呂に入ってアニメを見る。

映画『メイクアガール』感想

(以下、映画『メイクアガール』のネタバレを含みます。映画視聴後にお読みください。)

 女性解放運動家の田中美津は「男にとって女とは、母性のやさしさ=母か、性欲処理機=便所かという二つのイメージにわかれる存在としてある」と述べた(『便所からの解放』1970)。映画『メイク・ア・ガール』における女性は母しかいない。

 主人公・水溜明は高校生ながらもこの世界で普及しているロボットを開発した天才だが、自らを遥かにしのぐ天才科学者だった亡き母・水溜稲葉が遺したメモリーを解読できず、科学者として遠く及ばないことに焦りを覚えている。そんな折、同級生が言っていた「カノジョを作ればパワーアップする」というノロケの言葉を真に受けて工学的にカノジョを生み出してしまうところから物語が始まる。本作では人造人間の倫理的な問題や社会上の扱いの如何が問われることはないため、この部分については論じない。

 0号と名付けられたカノジョが人間らしくなるようにと、明は同じクラスに転入させ育て始める。共同研究をして明の面倒をみているおじさん(大学の研究室の主宰?)は、自分より子育てが上手いなどと言う。0号はクラスメイトのとの交流やアルバイトを通じて次第に家事もコミュニケーションもこなせるようになり、そしてプログラムされたとおり明に好意を抱きはじめる。バイト先で覚えた料理を振舞われ、温かな同居生活に束の間の安心を覚える明。しかし当然ながら明のパフォーマンスは上がらず、あろうことか明は0号から寄せられる熱烈なアプローチが面倒になり、ついには別居するよう強制して突き放してしまう。0号は娘から恋人と変わったが、明が求めていたのは恋人ではなく母親だったのだ。ここまで来て明には驚くほど性欲がないことに気が付く。そしてこの作品の女性は、冒頭に書いた母か性欲かの図式がよく当てはまる。明を気にかける研究者の絵里さんも母だろう。では明にかすかな好意を抱いている茜はどうか?アルバイト先で0号の面倒を見る時に言った「母親代わり」は示唆的である。茜は世間知らずで周囲を困らせる明の世話を焼くことにやりがいを感じている。茜も母である。

 明の恋人と母に対する態度の差は露骨である。明は他のロボットたちが自我と思しき動作(後述するが、これは母である水溜稲葉の意志と思われる)を見せた時には寛容だったのに、0号に対してはその感情がプログラムされた通りでしかないと繰り返し告げる。また0号からのデートの誘いが多いだけのことをホラータッチにまで演出しているところも極端である。ロボットを介した母からの支配には身を委ねているのに比べて0号が思い通りにならないことに恐怖するのは、社会を拒み母子関係の中へと引きこもる態度に他ならない。また0号が家事労働をしてくれているので研究に使える時間が伸びたり健康になったりしているはずだか言及されないのも気になる(母親だから家事するのは当然だと思ってる?)(今までも家事をロボットに任せている部分も大きかったと思うが、少なくとも料理は0号が来て初めて経験したものと思われる)

 別れることを拒み抵抗する0号を襲う激痛。ロボットたちと同じく創造主を攻撃すると自死するプログラムが組みこまれていることが、被造物であることの絶望に拍車をかける。0号がへたり込む格好が背後のロボットと同じというカットの悪趣味さ!今まで研究が上手くいかないと苦悩するシーンで何度も壊れていたロボットたちも、創造主に抗って死んだ可能性が示唆される。そして明との距離ができた隙に0号は誘拐されてしまう。まるで母親でないなら不要とでも言うようだ。しかし明は家族の温かさを思い出して落ち込む。ここでは家族というイメージ(これは妻に母親役を求める日本的な家庭像である)が二者の立ち位置を目くらましする効果を発揮して詐欺的に使われる。

 夢の中で亡き母・水溜稲葉が0号とオーバーラップする。夢の中での母との対話を経て母親を求めていたことに気が付く明だが、どうやらただの夢ではない空間らしい。そしてなんとここで反省をしないばかりか突如として才能を開花させて(!)全知全能のようなハッキングを繰り出して0号を救出してしまう。母の遺したメモリーの正体は研究資料ではなく明に組み込まれた母の記憶そのものだったのだ。結論を先取りすると明も恐らくは水溜稲葉によって人工的に製造された存在であり、覚醒もプログラム通りに能力がアンロックされたに過ぎない。明が母親を求める感情すらも0号のなかに稲葉の人格を降ろして母として復活するために組み込まれていたもの、さらには自死プログラムの正体は明への危害に対するセーフティではなく稲葉の意図であることも示唆される。つまり母親を求める感情は設定に由来するものであって明の自我によるものではないのだ。しかし本当だろうか?

  監督・安田現象氏は、本作のボーイミーツガールの要素を指して「夢を追う辛さを諦めて幸福を得るお話」「それよりも0号が大事っていう結論にたどり着いた」と述べる(来場特典冊子「メイク・ア・0」)。だがここまで見てきたように明は0号自身の人格ではなく母親としての機能を求め、母の支配に身を委ねているとしか思えない。この冊子において監督は何かをごまかしている。終盤はそれを最も強く感じさせる展開となる。
 クライマックスは0号が明に対して彼女となるか(0号)母親となるか(稲葉)の対決である。自死プログラムの苦痛に抗いながら明を滅多刺しにする0号。自死プログラム(=稲葉が作った設定)に勝利して生存すれば、その先は設定されていない自分だけの感情、自分だけの人生であるといえるからだ。誘拐から滅多刺しにいたる一連のアクションシーンは安田現象氏のショートアニメでも多用される加速度の効いたバイオレンスをやりたいという映像的な理由で盛り込まれたのではないかとも感じるが、私は感傷マゾ的な視聴者の自罰感情の慰撫だし被害者ポジションをとるための展開でもあると思ってしまった。このクライマックスは自己正当化のパートだ。明は母親を求めているのに、彼女になりたがる0号に攻撃されているという認知の具現化である。前述の「明が母親を求める感情は水溜稲葉に設定されたものだ」という部分も我々は生来そのようになっているのだから仕方ないという正当化に使えそうでもある。そもそも明は0号をカノジョとして作ったのに、逆らったら自死するプログラム(つまりカノジョを母親にすること)が組みこまれていることをこの局面に至ってもなお疑問視しない。疑問視しないことすら水溜稲葉に設定されたものだから仕方ないのだと何重にも逃げを打てるようになっている。ここでもそのようにできているから正しいという本質主義的な観念、自然主義的誤謬が密輸され、正当化に使われている。

 事件の後、長い昏倒から目覚めた0号が稲葉によく似た笑みを浮かべるカットで物語は幕を閉じる。この作品は明も0号も最終的にはプログラムされた通りに動作し、恋愛感情は母性に敗北する二重のバッドエンドとみなせるが、男が母性を求めることをあらかじめ人間にハードコーディングされた「仕方のないこと」とみなし、社会を遠ざけ(研究の諦め、成熟の拒否)てその罪を償いながら「母」と自分だけの閉ざされた社会で一生を生きるという一種のハッピーエンドともみなせる。思えば大学のおじさんは家庭人としては父としての立場がないし、この話の契機になった友人は彼女にフラれ、そもそも主人公に父親がいない。この作品にはまともな父のロールモデルが居ないのだ。そして母と子は共依存的に安らかな虚構の関係の中に留まろうとする。江藤淳の『成熟と喪失』を思い出さずにはいられない。

 母子の共依存的な虚構に留まる結末を本心で善いものと訴えているのか、皮肉や風刺として否定的に扱っているのか、特にそのような問題意識はなく話題性あるホラーとして恐ろしいもの・考察を呼びそうなものを選んだのかはよくわからない。ともあれこの映画は怪作だと思う。

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