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頑張りたくても頑張れない。メンタルダウンから、「頑張らなくていい」に気づいた話
「頑張る」「頑張れ」「頑張ろう」
何か行動するため
勇気を出すために自分に言い聞かせ
乗り越えたい時に使う言葉かも知れません。
あれはトップアスリートとして活動していた24歳の時の話です。
私は気持ちが安定しない時期が続き
自分を奮い立たせるために「今日も頑張ろう」と
言いながら毎日を過ごしていました。
22歳の私
大学生活を早稲田大学で過ごした4年間。サッカーの縁でつながった仲間と最高の時間を過ごしました。全国優勝2回、ユニバーシアード日本女子代表での経験を自信に、春からはなでしこリーグ東京電力の女子チームでの挑戦へ。そんな未来に気持ちを弾ませていました。
2011年2月
大学卒業のための単位を取得し、卒業式までのワクワクと共に本格的なサッカーの時間もスタートしていました。なでしこリーグのシーズンへ向け卒業前の2月に入団です。
初めての寮生活、入団会見
サインの考案・・・浮かれているのが想像できますね(笑)
しかしチーム合流から約1ヶ月後、2度目のキャンプ実施中に起きた東日本大震災の影響によりサッカー部の活動は休止となります。故郷が被災そして家族の心配以外何も考えることができない状況でした。入団1ヶ月でサッカーができなくなった悲しみと同時に社会人としての経験が今の私には必要であると考え、東京電力でのOL生活がスタートしました。
初めての社会経験。
システム処理の毎日、クレームなどの電話対応。
サッカーばかりしてきた新入社員はわからないことだらけ、ミスばかりです。
震災の対応により本当にたくさんの方に迷惑をかけながら、とにかく必死な毎日を過ごしました。レモンサワーやハイボールと友達の日々。
「おのっち、早くサッカーできる日が来るといいね!」
大変な日常なはずなのに会社の方々はとても温かく、毎日気にかけてくれた上に、いつの日かサッカーの舞台に立てることを楽しみに応援してくれました。そして家族や友人にもどれだけ助けてもらったかわかりません。
とにかく壮絶な毎日で必死に生きていたように思います。
23歳 OL生活8ヶ月後のこと
2012年2月
この8ヶ月間、時々チームで集まりこの先のサッカー環境について話し合われていました。その中でついに受け入れていただく場所が決定。「ベガルタ仙台」のレディースチームで活動することが決まり、散り散りになっていた仲間と再びサッカーをさせていただく機会を得ることとなります。
「ベガルタ仙台」
宮城県仙台市に生まれ松島で育った私にとっては地元のホームタウン。小さい頃から母親とよく観に行っていたチームでユアテックスタジアム仙台は夢のような場所でもあります。
「地元」そして「女子サッカートップリーグの試合」そんな日が来るとは夢にも思っていませんでした。
そして散り散りのなった仲間やスタッフとの再会。
その仲間とのサッカーの時間を当たり前ではない、と噛み締め、ただただ楽しんでいた23歳。
24歳 なでしこチャレンジリーグ
新クラブ発足ながら特例により、地域リーグではなくなでしこチャレンジリーグからの再スタートとなったチームは、1年で優勝し1部昇格することを目標に戦います。実力は申し分ないメンバーが揃っていましたが、活動休止の影響でコンディションのばらつきは明らかでした。
アスリートのかけらもないほど、ほどんど社会人生活へ力を注いでいた私。
その1年のブランクはとてつもなく大きな壁となるのです。
チーム唯一の地元出身者。
仙台の地域性から見ても、地元が大好きな私にとっては仙台のサポーターのアツい応援が物凄い後押しになっていました。
宮城をよく知る地元出身者。震災後にできたチームという理解と責任は人一倍感じていました。
「宮城の星になる」そのために頑張る姿を届けたい…!!!!!
1年間動いていなかったコンディション不足。
テレビ局で働きながら選手という二足のわらじ、不慣れな生活スタイル。
仕事、サッカー共に頑張らなくてはいけないというプレッシャー。
できない。ということの不安と劣等感
ミスで怒られることへの恐れ
楽しいはずのサッカーが頑張るだけの苦しい場所に
当時は安定を求め、変化を嫌う性格でした
気づけばサッカーをすることを苦痛に感じる自分がいました。
言われていることができない→怒られる
→自分のことを言ってるんじゃないか
と、人の目を気にするという悪循環
気づけばグラウンドに行くのが嫌になっていました
サッカーがしたいのにグラウンドに行っても涙が出ることも。
プレーしても苦しさで戻しそうになることもありました。
正直、苦しかったですね。
どうしたらいいかわからなくなりました。
メンタルクリニックに通い先生に泣きながら全てを話し聞いてもらう。
寝たら朝が来るので寝たくない。
薬を飲めば大丈夫。なんて言い聞かせていましたね。
大学の先輩のつながりで早稲田大学時代の先生に相談する機会をいただきました。
先生と電話でカウンセリング。素直な気持ちを全て伝えて返ってきた言葉は
「完璧主義なのかもしれないね」でした。
真面目にきちんとやることが大事
できない自分が嫌
それを言われるのはもっと嫌
やるならしっかりやりたい
頑張らないと・・・
できることがいい と勝手に自分を縛っていたことに気づきました。
休みながらも練習に行き、週末の試合に出場する。
チームメイトが納得するはずがないだろう。そう思うことも自分で自分を勝手に追い込んでいたんです。
救われ、人生が変わった言葉
苦しい時間が続いたままシーズンを終えました。
チームの方はというと、チャレンジリーグを20戦2分の無敗優勝という素晴らしい結果で当時女子サッカー最高峰であるなでしこリーグ1部への昇格を掴み取りました。
苦しかったシーズン、オフは約1ヶ月のお休みです。
ゆっくり休む時間はありますが、その後は恐怖のシーズンインです。
走り 頑張り 苦しい
そんな気持ちが蘇るんですよね。
そんな時、何気なく声をかけてくれた先輩がいました。
「がんばらなくてもいいんじゃないかな。できなくたっていいんだよ」
簡単な一言かもしれないけれど、私の中にはなかった言葉でした。
頑張らなくてもいいんだって
できなくてもいいんだって
できない自分を認めることってなかなかできませんよね。
でもね、
できなくても大丈夫
そう思うだけで、こんなにも気持ちが楽になるなんて。
頑張らない、できない=サボるわけじゃない
力を抜いて、ありのままの自分でサッカーをしたらいい
できなくてもやることが大事
苦手なことこそ、あえて向き合ってみる
それからの選手人生は、力を抜き、ありのままの自分を意識しながら9年間走り続けられました。家族や友人、地元で出会った方々や仙台のサポーター、テレビ局の皆さんと仲間、たくさんの方々のおかげで走り抜けられたことに、これまでも今も感謝でいっぱいなんです。
頑張らない日を作ってみませんか。
頑張らなくでも、人はしっかりやりますから。
好きなものには夢中になって自然とがんばるもんだから。
どんな自分も自分です。
できなくたっていいと思います。
自分が認めてあげたり、褒めてあげればいいんじゃないかな、と思います。
受け入れ、認め、許可してあげることを増やしてみませんか。
どんな自分でも大丈夫です。
今日も1日、頑張った自分にお疲れ様でした!
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![小野 瞳 ONO HITOMI|サッカー|テクニカルコーチ](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/80755486/profile_836fad2a8ff01a05fe1fe5c57a1c322a.jpg?width=600&crop=1:1,smart)