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#107. ぼくもみんなも、誤訳に用心

こちらの note でかなり更新を怠っているわりに、YouTube ではいまのところコンスタントに動画を上げている。怠惰なぼくでも続いているのは、「洋楽の和訳」というテーマが一つ、しっかりあるからだと思う。

以前洋楽の和訳について記事を書いたときにはたしか 100 もなかった登録者数も、いまではこの note のそれをも追い越して、いつの間に 3,500 を超えていた。数が増えるのは素直にうれしいし、モチベーションにもつながっている。



◆ ネットに誤訳が溢れる現状

くどいようだが、この note でもあちらの YouTube でも、収益は一銭たりともない。以前もここで書いたように、和訳動画を上げようと決めたのは「 Google や YouTube で検索して出てくる訳があまりにヒドいから」である。先日も、自分のチャンネルで訳した曲が、ほかのチャンネルで訳されたものをいくつか観てみて、そのあまりのいい加減さに心を暗くしたところだ。

ぼくは「翻訳のプロ」ではないが、英語に関することでお金をもらって食べている以上、「英語のプロ」ではある。そんな自分が(完璧な訳ではないにしても)できるかぎり正確な訳を心がけ、チャンネルを拡大させていくことで、ネットに溢れる怪しい訳に多くの人が流れ込むのをせき止められればと考えているが、それを達成するにはまだまだ時間がかかりそうだ。

自分でチャンネルをはじめてからとくに、ほかのチャンネルの和訳動画がトップでオススメされるようになり、知っている曲ならチェックしたりもするのだが、いろいろ観てきた体感としては、登録者数の多いチャンネルほど、訳としてはいい加減な場合が多かった。

「どこをどう読んだらそういう訳になるんだ……」とか、「この曲に関する歌手のインタビュー記事をちょっとでも読んだり聴いたりしていたら、絶対こんな解釈にはならないよな……」と、心の中でツッコんだ数は、数え切れない。

◆ 「正解の訳はない」なら「誤訳も存在しない」?

あるとき、あまりに的外れな訳があったので、これではアーティスト本人が不憫だと思い、コメント欄で解釈の違いを指摘したこともあるが、なぜか投稿主が一切登場しない代わりに、その一部のフォロワーから反論(?)のようなリプライを受けたことがある。

多かったのは、「曲の解釈は人によって変わる」、「正解の訳などない」という意見。もちろん大前提として、これらの意見はどちらも正しい。

しかし、その曲に関しては、アーティスト本人が「こういう経験をもとにこういう気持ちで作りました」といろんなところで話しており、にもかかわらず、その動画の訳や、概要欄にある「これは〜〜という意味の曲です」という説明が、本人のそれとは明らかに異なるものだった。

「解釈の余地がある」からといって「どういう風に訳しても OK 」とはならない。

「正解の訳がない」というのは「誤訳など存在しない」という意味ではない。

極端な話、曲の作り手が「失恋があまりに悲しくて泣けてくる」という意味で書いた歌詞を、「いまの彼女がムカつきすぎて笑えてきちゃうな」と訳すのは、やはり「意訳」ではなく「誤訳」である。

自分が曲を作った側だとしたら、曲に詰め込んだメッセージが、上のような大幅な曲解を経て(どこかの知らない YouTuber に)広められていたら腹も立つだろう。

ここからはもちろん自戒を込めた話になるが、

動画を観ているのが、英語のわからない(つまり、訳が間違っていてもそれを指摘できない)人たちだからって、歌い手の込めたメッセージを調べもせずにテキトーに訳したり、そもそも自分でも歌詞の英語がわかっておらず誤訳だらけなのに、それを「意訳」などという言葉でごまかし不特定多数に届けるというのは、

シェフがお客さんに喜んでもらえるよう真心こめて作ったフレンチ料理を、料理のよくわからないホールスタッフが、(シェフの見えないところで)勝手に「中華」と称して出したり、保存方法を誤って腐らせたものを「シェフの気まぐれですから」などと偽って出すような、詐欺にも近い行為である

◆ それでも怪しい訳が消えない理由

もちろんこれが本当に料理なら、お客はフレンチを中華だと言われれば間違いに気づくだろうし、腐っていれば口にしたときにわかる場合がほとんどだろう。

しかし洋楽の和訳となると、そうはいかない。和訳動画を観ている人のほとんどは、おそらく上の英語と下の日本語を照らし合わせたりしていない。ぼく自身、たとえば学んだことのないロシア語の曲の和訳動画を観ていたとしても、ロシア語の原文と日本語訳を誤っていないか慎重に吟味したりは絶対しない(というか、できない)。

そして、「吟味して誤訳に気づける」レベルで英語ができる人たちは、そもそも和訳動画に頼る必要がない。

これがおそらく、低クオリティの訳がネットに溢れる理由であり、そういった視聴者の弱みに付けこんでいる点が(もちろん投稿している本人にそのつもりはないとしても)悪質だなと思う所以だ

◆ 「もう二度とやりたくない」と思った

以前、大学院でぼくに古英語を教えてくれていた先生が、ある書籍の翻訳を終えて、このようにこぼしていたのをよく覚えている。それくらい翻訳は、(英語が抜群にできる人にさえ)骨の折れる作業なのだ。

ぼくも、いまの自分の英語力にあぐらをかかず、知らないフレーズやよく意味がわからなかった箇所があれば、辞書を引いたり英語ネイティヴの友人・同僚に確認するし、そもそも曲自体、動画を完成させるまでに(リリース前の snippet 含め)100 回以上は聴いている。

書き手、歌い手、作り手の魂がこもった曲を、自分がなんらかの手を加えて大勢に届けることの責任はとてつもなく大きい。自分の訳が拙かったり、間違っていたりしたせいで、「イマイチな曲」などと思われ、そういった人たちの評価まで落とせば取り返しがつかない。

登録者数や平均的な再生回数が伸びていくにつれ、ぼく自身その重圧をいっそう強く感じているし、ほかの、数万人・数十万人と登録者のいるチャンネル運営者の人たちにも、同じような責任感を(せめて曲の制作背景を調べるくらいには)持ってもらえると、きっとみんなが幸せになるはずだ。


……と、最初は「曲を和訳するとき大切にしていること」というテーマで楽しい話をするつもりだったのに、なんだか湿っぽい感じになってしまったな……

ここまででかなり長くなったので、曲の和訳で心がけていることの話は、また次の記事で書くことにしよう。

これを機に、こちらの note の更新も徐々に復活させていきますので、またどうぞよろしくお願いします。

※ つづきは以下の記事:


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