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選択肢を増やすために ~自分の体感温度~
ぬるま湯と熱いお湯、どちらが良いか?
…それは人によって好き好き、です。
体感温度は人によって違います。
好みもまた、千差万別。
カレーの辛さはどれが好きか、にも似ている。
ただ、自分ではわからないまま
「これが『普通』『絶対』だ!」と
思い込んでいる場合もままあります。
アツアツのお湯に浸かったことがない人は
ぬるめのお風呂がスタンダード。
ちょっと熱くなっただけで
「アツい!」と騒いでしまう。
逆にアツアツのお湯しか知らなければ、
ぬるい湯舟は違和感がある。
いきなり比喩から書きましたが、
この話は人間の組織にも当てはまります。
『ゆでガエル』という話がある。
ぬるいお湯に浸かっているカエルが、
徐々に熱くされても気付かず、
いつの間にか茹でられてしまって
ついにはお湯に浮かんでしまう…。
「環境が知らぬ間に変わっていると
気付かないままやられてしまいますよ?」
という一種の教訓話ですよね。
気付かないまま、やられる。
それを防ぐには、
例えばサウナや水風呂に入ってみるとか、
アツアツ、ぬるぬるのお風呂に入るとか、
「自分をとりまく湯舟」には
色々なものがあると知る。体感する。
それしかない、と思うのです。
前置きが長くなりました。
本記事では、個人史と日本史の両方から
この「刺激」と「体感」の比較について
私なりに書いてみようと思います。
まず、個人史からいきましょう。
私の極私的な事例で恐縮ですが、
「会社の経験」を挙げてみます。
私は7社ほど正社員として勤務してきました。
企業や組織には一つとして同じものがなく、
メンバーもまた、千差万別でした。
ローカルルールも違います。
褒められる/注意される点も違います。
雰囲気もそれぞれで、報告一つとっても
「作法」が全く違ったのです。
そういうことを体感していきますと、
良く言えば「比較する視点が身につく」、
悪く言えば「すれっからしになる」。
「ああ、ここはこうなんだな…」と
一種の諦念、どうにも変えられないことも
また見えてくるものです。
ただ、その組織にずっと居る方には
見えないだろうな、とも推察できます。
読者の皆様は、いかがでしょう?
「一社専従」で働いてこられた方と、
企業や組織を渡り歩いてきた方とでは
感覚が違っていませんか?
まとっている感覚が違いますよね。
もちろん、偉そうに書いてしまった私も、
「起業経験(いわゆる社長になる)」
「海外経験(外国語で仕事をする)」
などの経験は、ほとんどありません。
海千山千のSNSユーザーの
皆様から見れば「うぶなカエル」も同然…。
これは企業や組織にも限りません。
家庭や地域にも当てはまります。
同じ人間世界ですから。
自ら家庭を持った経験のある方なら、
自分が生まれ育った家庭と、新しい家庭とでは
同じ面と違う面があることを体感するでしょう。
(メンバーも時代も違うので当然ですが)
地域によっても、全く違う。
百年ずっと雰囲気が変わらないような
閉鎖的なつながりの村もあれば、
昨日と明日で全然違う、ある意味ドライな
大都会東京のようなつながりもあります。
ひとまずここまでをまとめますと、
『企業、組織、家庭、地域、
自分を取り巻く「湯舟」は千差万別。
その違いの刺激を体感できるかどうかも
一人一人によって全く違う』
と言える、と思います。
では、と論を進めましょう。
日本史の面から。
日本は、島国です。
しかしずっと国境が変わらない
「永遠の島国」というわけではない。
古代には西の大陸や半島、南北の島々から
様々な人が日本列島に渡ってきました。
今のような『国境』があったわけではない。
当然、島から大陸に渡っていった人も
また多かった、と思われます。
じきに「クニ」ができていきますが、
どちらかと言えば、視線は西向き。
大陸の王朝から漢字や仏教などが伝来し、
いかに西と交流するかに心を砕いていた。
(『金印』などもありましたよね)
それが663年の「白村江の戦い」で
惨敗をしてしまう。
朝鮮半島から手を引く。
その後は国号、元号などを定め、
東国も開発していき、
「古事記」「日本書紀」「風土記」などの
各地の由来なども書き起こしていく…。
「クニ」の形を徐々に定めていくのです。
ただ、本当の意味で「統一」されたのは
豊臣秀吉の天下統一、
イッコクマルク治める、で覚える1590年頃。
それまではけっこうバラバラでした。
江戸時代でも、北海道(蝦夷)や沖縄(琉球)は
まだ完全な支配下にはありません。
幕末、明治維新を経て
19世紀にようやく『国境』が定まっていく。
…しかしいわゆる『帝国主義』の世界は、
『国境』を力で変換できる世界でした。
◆1895年~、下関条約で台湾獲得
◆1910年~、韓国併合
◆1931年~、満州事変からの満州国成立
戦前の日本は、現在のような
「日本列島だけ」に留まらないクニだった。
台湾も、朝鮮半島も、満州も、
その勢力範囲内に収めていました。
さらに言えば戦中には中国大陸の一部や
東南アジア、太平洋諸島まで広く
「自分たちのクニ」の傘下に収めていた。
(今からは想像しにくいですが…)
そんな環境下に暮らしていた人は、
今よりもずっと「国際化」を
「体感」していたのではないでしょうか?
「刺激」を受けやすかったのではないか?
例えば満州に移り住む人が
身近にたくさんいたとしましょう。
その人たちがお正月に帰省したら、
現地の話を親戚や地域の人に聴かせる。
人間、自分の身近な人がする話は
自分の身に置き換えて聴くものですよね。
そこには実感をともなう刺激があった。
しかし現在では『国境』があります。
例えば海外に住む親戚が話したとて、
どこか「対岸のこと」として
聴くに過ぎないのではないでしょうか?
このように日本史から考えてみると、
過去と異なり、現在の日本では
自然と「日本風呂」にのみ浸かりがち…。
そのようなことが見えてくるのです。
最後にまとめます。
本記事では個人史と日本史の観点から
「刺激」と「体感」の比較について
書いてみました。
誤解を避けるために書いておきますが、
「たくさんの世界を経験した人が偉い!」
と言いたいわけではありません。
狭い世界で「無駄な」刺激を受けず、
「足ることを知り」心穏やかに過ごすほうが
人にとって幸せではないか…とも思います。
…ただ、色々な枠組みが壊れてきて、
VUCA、予測不可能と言われる
これからの世界を生きていくためには、
選択しないまでも、自ら進んで
刺激と経験を受けられる環境に身を置き、
日常的に体感と想像をしておいたほうが
「ゆでガエル」になる危険性が
減るのではないか?
それには「違う世界」を知っている人の話を
聞いたりすることが効果的。
様々な歴史と地理を知っておくこと。
気付くこと。
そしていま、皆様の目の前にある
SNSを使いこなして、
「つながり」をつけることだと思うのです。
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