書くことを続ける ~再び光を当てる~
毎回、ゼロから書いているわけではなく…。
本記事では、SNSで記事を書いたり、
投稿を続けたりすることについて書きます。
読者の皆様は「note」を使っていますか?
noteの通常の記事では字数制限が
(厳密に言えばあるんでしょうけど)
無いに等しく、いくらでも書けます。
長編小説すら、一つの記事で
一気に載せられるほど。
その一方で、字数制限のある
「つぶやき」のような短い記事も
noteでは書けたりします。
極端な話、一文字「あ」と投稿しても
投稿としてカウントされるのです。
ゆえに「毎日投稿」することは
それほど難しいことではありません。
…ただ、それだと誰も読みませんよね。
投稿を続ける手段自体が
「目的」にすり替わってしまう。
noteでは、投稿が終わったあと、
「〇日、連続で投稿しています!」
という画面が出るんですよ。
ですので、毎日、投稿する励みにはなる。
しかし、せっかく時間をかけて文章を書いて
(画像や動画を投稿する方もいますが)
投稿するのなら、できれば誰かの
心に届くような記事を書きたいものです。
そこで、冒頭の話に戻ります。
と私が書いたのは、
ある手法を使っているからです。
それは『リライト』です。
リライトとは、ある元の文章があり、
それを土台にして再度「ライト」、
つまり、書くことです。
だから「リ」ライト、と言う。
私自身も、何か月前、何年前に書いた記事は
自分で書いておきながらも
内容を忘れていることが多々あります。
そんな記事を、もう一度「書き直す」。
また、どなたかが書いた記事や文章を元に、
私なりに解釈し直して書くこともある。
誰かの心に再び届けようとする。
…そう思いましたか?
いや、これがまた、悪くはないのです。
というのも「書き直す」ことによって
文章について、より深く、新たな視点で
考えることができる、と思うから。
どういうことか?
リライトですから、まずは元の文章を
よく読まなければいけない。
大事なことは何か?
結局、何を言いたかったのか?
どこにスポットを当て直すか?
その上で、文章の表現を修正する。
読みやすいように直す。
構成を変えたりもする。
冗長なところは割愛。
説明が足りないところは付け加える。…
そういう「校正・校閲・推敲」を
重ねることによって、
「ゼロからイチ」の土台の力も
ついていく…と私は思うのです。
ここから、私のSNSでの投稿の
主なパターンを紹介していきましょう。
主に使っているSNSは三つです。
LinkedIn、note、X(旧Twitter)。
まず、LinkedInで投稿します。
これはゼロイチで書くこともあれば、
先述しました通り、
過去のnote記事の文章をコピペして
リライトをすることもあります。
いきなり「投稿」の画面で文章を書いていき、
不具合で途中で消えてしまうと、悲しい。
ですのでまずは、
「メモ」機能にベタ打ち(コピー)。
だいたい改行を合わせて
「200行程度」書くことが多い。
そうすれば、だいたい3,000文字になります。
そのメモ機能に書いた文章を、
LinkedInの投稿の画面にコピペする。
必要があればコメント欄に
補足の情報、リンクを貼って投稿する。
文章だけの投稿は、あまりしません。
投稿内容に合った記事へのリンクや
画像を貼っておくことが多い。
(そうするとインプレッションが
段違いになりますので…)
そのLinkedInで投稿した内容を、
noteに転載しておきます。
次いで、Xでも紹介のために投稿する。
できるだけ文章のキモ、
大事なことを140字以内で投稿し、
その次のリプでnoteへのリンクを貼る。
(Xは特に他のSNSへの誘導を
アルゴリズム的にとても嫌いますので、
いきなりリンクは貼らない)
まとめると、こんな感じでしょうか?
LinkedIn、note、Xをリンクさせているので、
それぞれの頭文字をとって
『noリ弁』『ツnoむすび』『ツインリンク』と
呼んでいる「転記(使い回し)」です。
(TwitterがXに改名してツイッターでは
なくなったのですが、そのまま呼んでいます)
…そう思いましたか? でも、ですね。
意外とこの「リライト」が効いてくる。
以前に『Inaoなリライト』という企画を
してみた時に、コメントでいただいたのですが、
リライトは、再び書く、という意味とともに
「再び光を当てる」という意味もあるようです。
光が当たっていないところは、暗い…。
まるで木漏れ日が差す竹林の道に
ところどころ闇が生まれるようなものです。
下手すると、書いた本人でさえ忘れています。
読者の皆様は、ご自身が
一年前に言ったり書いたりしたことを
覚えていますか?
これほど忙しく、情報があふれている昨今。
正直、右から左に流れていく情報も
多々あるのではないでしょうか?
ましてや、自分ではなく、
他人が発した情報は、
意識的あるいは無意識的に
「右から左へ受け流す」をしていませんか?
そこに、もう一回ライトを浴びさせて
世の中にさらしてみる…。
そうすることで、もう一度、意義が出てくる。
もう一度情報として
自分で「作り直す」ことによって、
何らかのヒントに生まれ変わると思うのです。
書き手にとっても、読み手にとっても。
最後に、まとめます。
本記事では、私の例を挙げて、
SNSで記事を書いたり
投稿を続けたりすることについて書きました。
もちろん、SNS運用は千差万別です。
ずっと書かなくてもいい。
「見る専」「読む専」だっていい。
逆に、一日に何回も投稿してもいい。
文章だけでなく、画像や動画をメインに
投稿している方もいらっしゃる。
それは、個々人の自由だ、と思います。
ただ本記事では、私の場合はこうです、と
紹介してみただけです。
記事の「リライト」もありですよ!と。
そう思われる方もいらっしゃると思います。
しかし、書くことを続けることで
自身の「書く力」に与える効能は大きい。
少なくとも、私にとっては。
比較的「読解力」に優れた方が多い
LinkedIn(やnote)では、
リアクションをいただけることも多い。
とても励みになっています。
「読む専」の方へのメッセージです。
一度、投稿をしてみませんか?
書くこと、シェアすることによって、
「もやもやっとした気持ち」に
明かりが当たることもあると思います。
(LinkedInでは特に「交流」にもつながる)
皆様は、書くことを続けることについて
どう思いますか?
※本記事は以前に書いた記事のリライトです↓
『書くことを続けることについて』
合わせてぜひどうぞ!