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学級。クラス。学校における分けられた集団。

クラス替えは学年が変わるたびに
気になりますよね!
先生が誰か、仲の良い友達がいるのか…?
学校生活を左右する大問題です。
現代では『学級崩壊』などの不安もあります」

…確かに、そうです。ただ、
学級「そのもの」がなぜ生まれてきたのか
知っている方はあまりいない、と思います。

ええ、私も知りませんでした。

そこで調べてみた。
『〈学級〉の歴史学』という本に
詳しく載っているようです。
書いたのは、柳治男さんという方。

本記事では「学級の歴史」について
書いてみたい、と思います。

同じ学年、同じ年齢の子どもたちが
ある一定の教室に集められて、
「一斉授業」形式で先生の話を
「一斉に」聞く。いわゆる「授業」。

「学校」のスタンダードなスタイルです。

もちろん、現在では「個別学習」や
「特別支援学級」などの形もありますが、
基本は「一斉授業」。
それを成り立たせているのが「学級」

…でも、昔からそうだったのか?

すぐに思い浮かぶのは
『寺子屋』ではないかと思います。
お寺などで学習する。読み書きそろばん。
生徒は思い思いの所に座り、
それぞれ千差万別の個性、習熟度によって
先生の指導に従って学んでいく。
(注:「公文教室」もこの系譜です)

一斉指導ではない。
「個別指導」に近い。

それがなぜ「学級」に変わったのか?
…それは明治時代の「学制」によります。

日本は明治維新以後、
欧米列強の制度を取り入れてきました。
義務教育を始め、学校をつくり、
バラバラに学んできた子どもを
同じ内容で学ばせるようにしたんです。

その仕組みはどこから取り入れたのか?
イギリスです。
学級もまたイギリスで生まれました。

19世紀に入るまで、生徒を年齢や能力で分け、
一つの部屋に集め、一斉に同じ内容を教える
「学級」は存在しませんでした。
教育空間は修道院や民家
日本で言う「寺子屋」に似ています。
生徒は年齢や能力で分けられることはなかった。

さて、1798年のこと。
イギリスの首都ロンドンに、
ジョセフ・ランカスターという男が現れる。

20歳の時、貧民街に小学校を開設。
人気の学校でした。生徒がたくさん集まった。
しかしいくら教え方が上手くても、
教師たちだけで教えるのは限界があります。

そこで、彼は考えた。

「…年長の生徒たちに
下級生の面倒を見させてはどうだろうか?」

生徒の中から優秀な者を選び、
教師の指導のもと、助手の役割をさせ、
学習効果を上げていく方法。
これはアンドリュー・ベルという
スコットランドの宣教師が編み出したのですが、
ジョセフもこれを活用したんです。

ゆえに、この方法は
『ベル・ランカスター法』と呼ばれる。
別名『モニトリアル・システム』

個別の指導だと、教師が誰かを教えている間に
他の生徒は待っていなくてはいけない。
しかしこのベル・ランカスター法では
教えを受けた生徒が違う生徒を教える。
時間短縮。人件費節約。
すでに教えられた生徒を「モニター」役にして、
十人前後の斑に分けて
各斑ごとに教えさせるようにした。

…これが発展していく。
学校は「クラス」に分割されていきます。
各クラスに「モニター」が配置されました。
モニター、monitorとは、
今では「監視する人(装置)」の意味で
使われますけれども、
『指導をする人』という意味もある。

読み書き計算の能力別にクラスが分かれた。
試験などで審査され、できるようになれば、
上のクラスに行ける。等級制。レベルアップ。
現在でも自動車学校などで使われている。
すごく「合理的」な仕組みです。

これにはイギリスで『産業革命』が
起こっていたこと
に理由がある。

読み書き計算ができる労働者を
スピーディーに生み出していく必要があった。
工場においても「分業」が採られていた。
そう、モニトリアル・システムは
『分業制』でもあった
のです。

「…でも、単純な内容ならまだしも、
難しい内容になったら
この教え方は難しくないですか?」

そうなんです。色々と限界が見えてきた。
そこで編み出されたのが、
『ギャラリー法』という方式。

これは生徒を観客、ギャラリーに見立てる。
机を階段状に並べます。
生徒数十人が、正面に立っている教師を
「一斉に」見える形にする。
教師の側も生徒全員を見渡すことができます。
生徒同士でも他の生徒を見ながら
確認をしつつ学習を進められる…。

大学の「大講義室」のイメージ。

ここに「一斉授業」が誕生したのです。
時代の必要性に応じて、
人工的に生み出された学習形式…!

1862年、モニトリアル・システムと
ギャラリー方式が併存していた状況が、
統一された方法にまとめられます。

◆複雑な教育内容を扱うのは難しいので
読み書き計算(3Rs)に内容を統一
◆政府が強い統制を課して、
教師を一様な「現場監督」にする
◆学年と学級を導入、同年齢の子どもを
年が変わるごとに一斉に「進級」させる

こうして「寺子屋」的な教育空間が
「学年」「学級」の学校へと変わる。
教える内容を事前にパッケージしておく。
ギャラリー方式で効率よく教える。


…ただ、このような方法では、
教師を「歯車」として扱うようなものです。
誰がやっても同じ。金太郎飴…?
「これでいいのか?」
アンチテーゼとして、真逆の発想の
「児童中心主義」が生まれてくる。

そもそもモニトリアル・システムを
生み出したのは「宣教師」でした。
キリスト教的なヒエラルキーにより
秩序化された思想がその土台にあった。
「教える者」と「教えられる者」の固定化。
上下関係。「教師の権威」と「秩序」を
前提とする教育空間…。


しかし産業革命、近代化が深化するにつれ、
宗教色が薄らぎます。
自明の権威が揺らぐ。まさに革命。
童心に帰る。学習者からの目線。
「上から一斉に同じ内容を教えられる」より、
「個々の欲求に基づく主体的な学び」が大事!
そんな考えが生まれてきたのです。

…明治維新後の日本は?

「国民国家」の建設を急げ!とばかりに、
スピーディーに「教育」すべく
近代的な学校制度を採り入れました。
富国強兵。殖産興業。一丸となって働く。
一斉授業と相性が良かった。

ただ「個」の時代と呼ばれる現在、

その限界、崩壊が学校現場で
出現している
こともまた事実なのです。

最後にまとめます。

本記事では『〈学級〉の歴史学』に基づき、
イギリスで学級がどう生まれてきたのか、
その過程を紹介してみました。

さて、LinkedInなどSNSにおける
皆様の学びはいかがでしょう?

一斉授業ではない。
SNSに「学級」はありません。
千差万別、老若男女がこき混ぜられ、
それぞれ個別に学んでいます。
発信も受信もまた千差万別…!

「ユーザー中心主義」「個別の学び」。

読者の皆さんは、何を、どう学びますか?

ただの観客、見る専のギャラリーから
「主体的な学習者/発信者」になるために
どのようなつながりをつけていきますか?

※柳治男さんの
『〈学級〉の歴史学
自明視された空間を疑う (講談社選書メチエ)』
はこちらから↓

合わせてぜひどうぞ!

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