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ケンプの演奏を聞いていると、風景が浮かんでくる ~「エリーゼのために」演奏:ヴィルヘルム・ケンプ
録音媒体に収められた音と、脳内再生音の違い
脳内に刷り込まれている音があります。
そのメロディはいつでも思い出せるし、いつでも口ずさむこともできる。
ただ、その音は、いつも身近であるがゆえに、自分なりのテンポや音の強弱や音色でもって、脳内で再生されています。
この音が有名であればあるほど、フレーズがわかりやすいほど、脳内再生音は、自分だけの音になっていきます。
そのくらい自分にとって身近になっているからこそ、いつでもその音を聞きたいと思うのは自然な流れで、録音媒体をいくつか揃えたくなります。
ここで、問題になってくるのが、録音媒体に収められた音と、自分的にアレンジされた脳内再生音の違いです。
これが顕著であればあるほど、その録音媒体は座右の一枚にはならず、座右の一枚を探す旅が繰り広げられることになります。
この違いというのは、「スピード感」、だったり、「間」、だったり。
そんな音楽をいくつか紹介していきましょう。必然的に、これらは、クラシック音楽やジャズのようなボーカルのない曲になっていくわけですが。
■前回記事「白鳥の湖」
エリーゼのために
この曲は、誰もが知っている曲だと思います。
クラシックをしらなくとも、このメロディはきっとどこかで耳にしているはずでしょう。
この曲の場合は、先の白鳥の湖と違って、どの演奏家のどのバージョンも、「なんか違う・・」ということはありません。
ただ、ある日。
出会ってしまったんですね。
それが、ヴィルヘルム・ケンプというピアニストの演奏するエリーゼのために。
ケンプは、世界的ピアニストですが、僕はテクニックはあまりよくわかりませんが、一般的には技術よりも味わい深さで聞かせる人だといわれています。クラシック関連の書籍ではそういう記述が多いですね。
テクニックよりも、心だと。
本当にそんなことがあるのかどうかは分かりません。ただ、ケンプの演奏するエリーゼのためにだけは、他とは違って聞こえました。
エリーゼがどういう人かは分かりませんし、wikipediaを見ても、特定されているわけでもなさそうです。(テレーザという名前だったが、悪筆だったのでエリーゼになったとも書いてあります)。でも、彼の演奏を聞いていると、自分なりのエリーゼ像が浮かんできます。
その人は、気高くも儚げに、静かに自分の名を冠した楽曲の演奏に耳を傾けている。
そんな風景。エリーゼのためにを聞いて風景が浮かんだのはケンプの演奏が初めてでした。それ以来、ケンプというピアニストが好きになり、いくつか音源もそろえています。
その中に、ヒロシマでの演奏(オルガン)がありました。これもまた、彼の地の魂の鎮魂のように聞こえたものです。
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