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書くことへのいざないー澤田英輔著『君の物語が君らしく』を読む
書くことへのいざないー自己発見の楽しさ
「あすこま」さんこと、 澤田 英輔氏の近著『君の物語が君らしく~自分をつくるライティング入門』を読んだ。
本書は、経験と感想を正直に書かせようとする作文指導論ではない。原稿用紙に鉛筆で書かせて評価する作文指導論でもない。自立した一人の書き手(ライター)として書くことへのいざないの書である。深い意味が分かりやすい表現で語られている。
本書は、7章+終章の次の8つの章からなる。
1 他者の視線から遠く離れて
2 書くことは発見すること
3 発見のためのエクササイズ
4 自分の「物語」を書こう
5 書くプロセスを作る
6 もう一度「他者」と向き合う
7 書き手の権利10か条
終章 書くことの魅力
この順番にそって、私の心に響いた部分を紹介する。
第1章で澤田氏は、「あなたは書くときにいつも他者の視線にさらされ、比較され、優劣をあらわにされる。そして、その不安におびえている。」「学校で文章を書く体験は、自分の優越感は満たしてくれましたが、決して心から楽しいものではありませんでした。」と語り、「自分の楽しみのために文章を書く体験。」のすばらしさを語る。
第2章で澤田氏は、「今の自分と少し前の自分の、文字を通した絶えざる対話」「その結果として新しいアイデアが創られるプロセス」「発見としての書くこと」「自己内対話としての書くこと」の魅力について説く。
第3章で澤田氏は、「本のタイトルを使って作る五行詩」や「穴埋め短歌」を作る、言葉遊び的な実践を通して、書く行為がもたらす発見の楽しみと創造の醍醐味の具体例を見せる。
それらの話を入口にして、第4章で澤田氏は、物語創りの本質を解明しつつ、人が人として生きる上で「物語」創りが不可欠であると説く。私もそう思う。そして、物語作りを学ぶうえで、他者の物語を真似たり視点を変えたりして物語を自分の中に取り込んでいくことの魅力についても語っている。これは、私が唱える「翻作」の魅力にも通じて、大いに共感を覚える。ちなみに、「翻作」については拙著『国語を楽しく~プロジェクト・翻作・同時異学習のすすめ』(東洋館出版社、2023年)に詳しい。
第5章で澤田氏が提示した書くプロセスを私流に翻訳すると、①発想する、②発想をメモする、③書く、④見直して修正する、⑤完成する(未完成もOK)ということになる。通常の作文授業ではこれらの段階を固定的に運用する傾向があるが、澤田氏は柔軟である。澤田氏は「実際のライティング・プロセスは混沌とした、無計画なものです。」とまで言う。よくぞ言ってくれた!
それまで、自分のために書くことを中心にして語ってきた澤田氏が、第6章では一転して、他者と無縁に書くことはできないという真実を明かす。そして、「誰にも見せない」権利を前提にしたうえで、実在の他者に向けて開くことの良さを説く。
コミュニケーションとしての書くことを重視する私にとっては、相手に向けて書くことが大前提である。だから、人に読まれて不都合なことは初めから書かない。自分自身を読者にして内密に書く場合は、非公開を前提に書く。書く相手は、自分自身や、不特定や特定の読者など、多様である。目的や相手や内容や媒体に応じて書き方を変え、何をどう書くかは書き手主体が決める。そう考える私の書くことの学習支援論と澤田氏の論が、この第6章で交わる。そこが嬉しい。
第7章で澤田氏が紹介している「10の権利」に、私も共感する。そのうち3つを挙げろと言われれば、私は「1 読まれない権利」「6 放り出す権利」「10 パソコンを使ったり、絵を描いたり、紙とペンで書いたりする権利」の3つを選ぶ。
私は40年ほど前から、原稿用紙に書かされ、提出させられて評価される作文をいったんやめてみよう!と訴え続けてきた。その訴えの一つが私の論考「書くことが役に立つ場」(日本国語教育学会編集発行『月間国語教育研究』第152号、1985年1月号)である。その冒頭で私は、「配られた原稿用紙に何かを書かされるという、あの作文の時間を、なくしてみたらどうだろうか。」と書いた。その私がこの10か条に反対なわけがない。
この10か条の理念と同じ方向を向く実践と思想を1冊の書物にまとめて世に出してくれた澤田氏に、感謝と共感の拍手を送りたい。