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外国語学習と母国語学習の相乗関係

外国語学習をすることは、母国語学習に好影響をもたらす。

異文化に触れることによって、新しいものが生まれる。

異文化と出会うことによって、自文化の特色が、より鮮明に見えてくる。

それは、言語学習でも同じ。

日本で暮らし、日本で育っているということは、たとえて言うと日本語の語の海の中で生きて育っていることである。

日常の喜怒哀楽や必要を感じながら、生き生きとした日本語を聞き、話し、読み、書いて生きている人々はみんな、日本語の日本語の達人になっている。

それに気づくには、外国人の幼児がその母国語を話す姿を見ればよい。そうすれば、その言語力の高さに感嘆するに違いない。

それと同じことが、日本語を母国語とする日本人にも起きているということが見えてくる。外国人から見ると、日本人が話すが流暢に見えていると思う。

そういう意味で私は、日本人はみな、日本語の達人だと考えています。

なのに、日本人の子供が、国語科授業でテストを受けると、みんなが満点をとれるわけでなない。

その理由はただ一つ。全員が満点をとれないテストを作るからである。

そういうテストを受けさせられ、そういうテストを目標にした授業を受けている日本人は、自分には、まるで、日本語(国語)力が無いかのように錯覚してしまう。

私は、国語科の授業が、もっと、一人一人が興味関心を持てる内容になり、もっと、一人一人が自分の力を発揮できるものになればよいと考えている。そうすれば、国語の授業がもっと楽しく、もっと実りあるものになると考えている。

そうすれば、学ぶ一人一人が自分の言語力の高さを実感することになると思う。

一人一人が自分の言語力の豊かさを実感しながら、さらに向上したいと思って、学びに向かうようになると思う。

その点は、外国語の授業も同じだと私は考えている。

学習材も学習方法も進度も、子供一人一人が選ぶことができるようになればよいと考えている。そういう学びを私は「同時異学習」と呼んで、拙著『国語を楽しく』で提案した。

そうすれば、言葉を学ぶことが喜びになり、言葉を使うことが喜びになる。

そうすれば、学びの成果も上がり、学んだ力が発揮されて、自己肯定感が高まり、学ぶことが楽しくなり、さらに学びたくなる。

と、私は考えている。

それができない場合は、それに近い発想をするだけで、学ぶ子どもたちを見る目が変わる。と思う。


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