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『子どもたちの階級闘争』読了
自粛期間中、わたしのリクエストに応え
近所の友人が必死な思い(?)で届けてくれた本。
今の暮らしのなかではよけいに考え込んでしまうヘビーな本で
それこそわたしも必死に読み進み、やっと読了した。
『子どもたちの階級闘争~ブロークン・ブリテンの無料託児所から』
ブレイディみかこ 著
あのアナキズムは理想の国に咲く美しい花でも、
温室から出したら干からびて枯れてしまうようなひ弱な花でもない。
それは地べたの泥水をじくじく吸い、
太陽の光など浴びることがなくとも、もっとも劣悪な土壌の中でも、
不敵にぼってりと咲き続ける薔薇だ。(「おわりに」より)
これは、帯、裏表紙側に引用されている文章で
(「おわりに」より)とあるように、
本当に最後の最後に書かれていた言葉でした。
読書中に息継ぎが必要になるたび(それは度々あった)、
表紙の写真とこの帯裏の言葉を、わたしは何度も眺めていたから、
文中で読めたときには、それまでのことをどさっと肩に感じながら、
やっとたどり着いた~というような想いがした。
それでいて、筆者が書く「あのアナキズム」が「尊厳」を指していて、
その「尊厳」は、辞書でひく「尊厳」ではすでになくて、
この本で見た、圧倒的な、生き様が、姿が、言葉が、のしかかっていて
美しいとか、切ないとか、そういう感情では捉えきれないもので、
やっぱり、わたしはまた、最後の最後に息切れをしていた。
著者の視線、子どもとのやり取りは、笑みがこぼれることも多く、
特に数章にわたって登場してきた子どもには、愛着をおぼえ
保育士である著者との関係が進展すると希望を見、展開に期待が出て。
でもこの子どもにまっている未来が
そんな簡単に期待できるような状況ではないことも分かるので
怖くもなったり。
(期待が、本当に自分でうんざりするほどやすくて、打ちのめされたり)
「右とか左とかいうイデオロギーは、結局、庶民を貧しくするものにしかならないんじゃないかと思うときがある」
これは、著者の友人の配偶者(トルコ人)が言った言葉。
読み終えた今、探したら、なぜかすぐに該当頁が見つかった。
以前、わたしも右とか左とかについて、
持ち出さないでほしいんだよね!って想いをしたことがあったと、
このnoteでも、日記のような記事の中で呟いたことがあったかもしれない。
そういうわけできっと、私事だから、ちゃんと、遡ってそのページに
会えることがかなうんだろうなと思ったりする。
聞き耳を立てて悲しさのどまんなか 届かなかった声は私の
大川久乃
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