2023年 秋の香川 その1
ある日ふらっと急に行方不明になった人みたいなおろそかな準備で朝の電車に乗って東京駅で新幹線に乗り換える。自由席に腰かけました。二人掛けの席の窓際です。品川と新横浜ではまだ隣に人が乗ってきてほしくないため、停車するたびに狸寝入りをしました。隣の空席にやや体をもたせかけた姿勢で、軽く嘘のいびきをかく。人はそもそもそんなに乗ってこなかった。近くの席の人からみて私、「あの人、停車するたびに短くて深い眠りに…奇妙な人……」と思われていたでしょうか。思ってろ上等だ。乗っていた10月31日は、東海道新幹線では車内販売が今日で最後!という日でした。利用しませんでしたが。
岡山につきました。事前におすすめされていた、駅構内のうどん屋を探しますが見当たらない。首かしげ新幹線改札を出て在来線ホームを探るが、こっちにもなくて、そこでようやっと調べたら新幹線「のぼりのホームのみ」にあると判明。オアズケをくらい、シオシオと改札を出ます。作家なんかしちゃって気楽に(※ただし楽なのは気だけ)生きているため、ライフステージにズレの生じる同世代よりも、ひとまわりも上もしくは下の世代とのほうが話しやすいというのがあって、作家はじめ「カタギではない」人、以外の友人は年が離れている場合が多い。岡山では、ひとまわり下の年齢の友人と会う約束でした。
「ふだんはなにもないし静かだが、ちょっと前に暴力団組員が一般の人を路上で殴り殺した事件があったため、治安がいいかどうか判断しかねる」場所に住んでいるというその友人と昼食をとったのち倉敷にいきました。なにをしにいくという予定もないのですが、大原美術館があったから入った。大原美術館のコレクションに大興奮しました。ホドラー、レオン・フレデリック、マネ、セガンティーニ、スーラ―ジュ、ポロックのなんかへんなやつと、河原温の初期の大作絵画、桂ゆき、松本俊介、そういやフォートリエの有名なやつはじめてナマでみた。民藝運動の人々のものが収められた「別館」そしてオリエンタル古物の集められた「東洋館」いずれも建築が非常に気持ちよい。
その後、IVY SQUAREと名付けられた、まあ、なんていうか、古いでかいお屋敷たてもの敷地まるごとそのまま、ところどころテナントいれててホテルもある半ば公共的なスポットの中庭にて雑談していたのだが、スポット内の看板じゃIVYの音に漢字をあてて「愛美」と表記しているものがちらほらあり、スナックの名前のよう。
国産ジーンズ・デニムを売りにしている町とは知っていたが、「デニムソフト」というソフトクリームののぼりがある。デニムを履く時代は終わった。これからデニムは「履く」から「食べる」へ。
岡山に戻ってコーヒーをしばき、夕食をとる。要するに一日べったりその友人といて、たらたらとお話して過ごしていたのみなのだけど、それはそうと10月31日の岡山駅周辺では渋谷よろしくハロウィンだっつって仮装若者らがうじゃくら集まってきており、このため各種の規制・警備もガンバっちゃって、意外に非常にストレスな環境でした。でしたから、電車に乗って南の南の、宇野という港町についたときにはホッとしました。真っ暗な駅前を、おそらくそこにある交番に聞こえるようわざと大声で、中学生くらいの少年が、少し先にいるツレを指さし、「やっべえ、あいつ未成年なのに、未成年なのにタバコ吸っちゃってるよ、やっべえ」とちゃらちゃら笑い叫んでイキっておりたいへん香ばしい。また若干こちらも恥ずかしい気持ちにさせられる。確認したが、襟足は伸ばしていなかった。
いったん海に近づき、夜なので正直なにも見えないのには気づかないふりで「海を眺めるオレ」に浸ったのち宿へ。古民家改装系の宿、玄関っちゅうか土間あがって真ん前ど正面の、奥にだけ畳の敷かれたスペースには円卓を囲んでむつかしい顔の三人。オーストラリアからきたという宿スタッフの覗きこむ端末に予約情報が表示されないとかで、うまくチェックインできないのは、こちらは日本人の親子二人(どちらも女性で、母は50代くらい、娘は30代くらいか)、苦労している。「あ、あの、とりあえず今きた人を案内しますか。先にそうしますか。いいですか? ねえ、いいですよね」など、私のチェックインをするか否かの話し合いが目の前で展開される。これを眺め終え、無事、横はいりでのチェックイン。
宿側の人の日本語の発音はきれいだが、すらすらとは出てこない。こちらも、伝わる日本語を選ぶより、自分の拙い英語でくみ取ってもらえる質問を投げかけるほうが楽だので、なんだかあべこべなやりとりになる。
キッチンでは、カナダから来た人が料理にチャレンジしている。本わさびをまるまる一本買ってきていて、刻んでソイソースをかけたりしている。「茎も刻んだら食べれるんじゃない?」など、テキトーに知ったかぶりアドバイスをしていたら、ちょっとあとで「できたから一口食べてみろ」とおそろしいことを言う。リアクションを試される緊張はあったが、なんのことはない。料理はほかにも何品も作っていたようで、試食をさせられたのはエノキのバターソテーだった。味は、エノキのバターソテーだった。おいしい。
翌朝はやくに宿を出たのは、ちょっと歩いた先にあるという金氏徹平さんの彫刻をみるため。これが競輪場の真ん前の公園にある。そこに至るまでの散歩に登場する光景とは朝の海景、んでこれがまた港も浜も磯もあって、いろいろな海辺を眺めながらの散歩でした。この立地にあるのがボートレース場じゃなく競輪場なんだなあ、まあ漁するなら海を騒がしくしたくないよなあ、維持費とかも違うのかも知んないし。などとしごく単純に気持ちにひっかかる。
それから朝イチの船に乗って豊島(てしま)に向かう。内藤礼さんの作品のある「豊島美術館」に行く必要があった。そう、「行きたい」じゃなくて「必要」。もちろん内藤礼さんは好きですし、行きたい気持ちはあるけれど、だけじゃなくて、今回の遠出は、「その空間に対してどうアプローチするか」という制作をするための旅行なので、これはぜひとも見ておかなければならない。
この旅は香川県での展覧会イベントを行うための遠出です。会場「うたんぐら」は遍路宿に併設されたコミュニティースペースで、このイベントは私の展覧会と、小池さんによる出張本屋さんが一緒に行われるものです。
トンボ帰りになるんじゃおもしろみがない。瀬戸内海を思って「小さな海と」と名付けられたこのイベントを行う土地の持ち味を、じんわりじっくり親しんで、その応答としての制作をしたい。だからこそ、前日当日に行くんじゃなく、何日か余裕をみるかたちで出発し、また、直接香川に行くのでもなく、瀬戸内海を船でわたって香川へ近づく。瀬戸内海の「感じ」に体を漬けながら、じわじわと会場へと近づいて、フォーカスを絞っていく。そしてその道中に、そのロケーションとのわたりあいをこそが芯になっている作品があるなら、これはぜひとも、行く「必要がある」
岡山方面から眺める直島は、工場地帯の見た目をしている。これからむかう豊島も、産業廃棄物で「有名」になった来歴のある島でもある。瀬戸内海の島々には、産業や工業の歴史の幅が広い。今度こういうのはもっとまとめて深堀りして調べよう。
さて豊島だが、着岸時刻から美術館の開館時刻までに時間がある。豊島の砂浜でひとりしばらく遊んでから、のんびり歩いて美術館へと向かう。昨日、宿についたときに困っていた親子二人も美術館前で開館を待っている。会釈をする。明らかに「無視するかどうかいったん迷った間」を挟んだのちの会釈が返ってくる。奥ゆかしいことこの上ない。ふふふ。私もだいたい職場ではそうです。にししし。
観光客は多く、かつ白人が多い。
内藤礼さんの作品は、その内部をゆっくりゆっくり歩いて、眺めて、よくよく注意しながら観察していくと、ふと、細い細い糸が一本だけ天井からぶらさがっているのを発見し、うれしい。などの仕掛けがあるのだけれど、「日本に来て日本人作家の作品を体験している」という意識なのか、そこに「日本らしさ」を求めたい外国人観光客があぐら組んで目をつむって座禅ごっこをしている。トーキョーやキョートでなくセトウチのテシマにきているほど日本文化に対しての興味関心の度合いが人並み以上であるからこそ、ともいえるのかもしれないが、動かず、目さえ開けずに座り込んでいるのはさすがにもったいない。
なにも食べないままでいるのがさすがにつらくなってきて、飲食店を探すも、ない。行き倒れの未来に涙を絞りながら見つける店が閉まっている×2軒。山の道路をひいひい歩いて、ふと目をあげると十字架が目についた。自然と体はそちらへとむかって、キリスト教系の宿舎のようなものに行き当たりました。しかしもう使われていないのか、廃墟というほどぼろではないが、正面玄関のガラス扉の向こうには室内用の滑り台や鍋やヤカン、自転車。玄関には燕の巣がいくつもあって、それなりに年季の経ってそうなものもある。年季がはいると色が茶色くなるものなのかは知らないけれど。
さてついに辿り着いた飲食店で、食事の待ち時間にスケッチブックを開く。空腹時に耳に届く音に思わず走り書き。「おれのミックスフライが揚がっていく音が聞こえる」
島は広くないし、観光スポットも限られていれば船の便数も多くない。滞在している数時間のうちにすれ違うメンバーの顔を段々お互い見知っていく。気恥ずかしくもある。船の時間までまだまだあるんで、横尾忠則館も訪れるが、こちらに特別なにか感想はありません。
港を眺め、むこうの島を眺め、船は甲板に座って、遠くの海面のきらきらを望みながら耳にはエンジンの轟音、鼻にも燃料のきつい匂い。高松港に着岸し、高松駅から電車に乗って、滞在する場所へとまずは向かう。ここも古民家を改装してつくられているのだけど、収集された古いラジオが並んでいたりで非常に独特な場所です。
迎えてくれた方は、その場所でどなたかと打ち合わせ中、そのどなたかにも引き合わせていただいて、結局三人で話をする。話題の中心は松岡正剛の編集塾「イシス」の運営方法、構造ならびに編集の技術について。
夕暮れてきてから、自転車を借り、高松の商店街で必要な資材を購入、駅前でうどん食、いったん帰宿するもテンションが高まりすぎており制作できる血圧じゃないからチルのため銭湯、年齢不詳の男たちが、フジモンの起こした交通事故の話をしている。ひとりで入ってる小学校高学年くらいの少年がばっちばちに勃起している。それ自体はまあいいんだけど、涼しい顔で平然とさらして歩いているのがびっくりする。気がついてないのか?
帰宿しようやく制作に取り掛かります。1時過ぎまで作業をし、なのに朝は5時台に目を覚まします。なぜなら歩いて数分のところにある高松の中央卸売市場で朝食を食べるため。開店時間が4時とか4時半とか、そういう飲食店のこざこざ集まって、一般の客もはいってOKだそうで、行きましたが、常連だけで作られているなめされきった空間にわけいることの緊張感もゆかいだし、ブリの刺身を食ったがちょっと考えられないようなうまみで、こんなにおいしいブリの肉に住んで一生を過ごすブリの寄生虫がうらやましい。卸売市場内を走る車の運転は非常に非常に荒いが、子どもがひとりで歩いていたりもする。朝6時台の港である。
荷物を持って、展覧会会場となる場所へ向かった。会場および周辺の下見をするためです。
会場は、八十八箇所巡礼の第七十八番の寺のそばにある。お遍路さん限定で、安く素泊まりさせてくれるいわゆる遍路宿(善根宿)に併設されたコミュニティスペースで、展覧会会場になることもあれば、映画の上映会が行われることもあるし、あるいは、歩いているお遍路さんを呼び止め、お茶をふるまってひと休みさせる「お接待」の場所として使われていることもある。
会場の下見のつもりで訪れたものの、この日はたまたま、お遍路さんの「お接待」をするおばちゃんがやってきている日だったので、それで結局、道行くお遍路さんを見かけたら声をかけ、お茶をふるまってお話をする、ということに一日を費やす成り行きになりました。(つづく)