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【大乗仏教】唯識派 四分説(三分説)

唯識思想における「識」の分類は、前回の記事で紹介した「識の三層」だけでなく、「識の四分説(三分説)」というものも存在します。

【四分説】
●相分(客観)
客観としての心的部分(識内の表象)であり、対象の形象という客観的契機です。所取とも表現されます。
●見分(主観)
相分を把握し、認識する主観としての心的部分であり、相分を知る主観的契機です。能取とも表現されます。
●自証分
上記の主観的契機(見分)を更に知る自己認識契機です。相分と見分とを二極化する前の段階であり、識それ自体が見られる側(客観)と見る側(主観)に二極化し、その対立の上に感覚や思考などの様々な認識作用が成立するとされます。
●証自証分
上記の自証分を更に分割したもので、自証分の奥にその働きを確証するもう一つの確証作用を立てます。自己認識を更に知る契機です。証自証分を確証するのは自証分であるとし、無間遡及を回避しています。

唯識派の学説を認識論的に考える際には、「識の三層」よりも「識の四分説・三分説」を用いた方が分かりやすいと思います。

自証分が見分と相分に分かれているため、自証分は「識の三層」の中で末那識単独ではなく阿頼耶識を加える方が妥当ではないかと筆者は考えます。今後、唯識思想を認識論的にお話する際は、上記の四分説②③を用います。