【密教】チベット仏教「死者の書」寂静尊と忿怒尊
仏教では、衆生が生まれて死んで再生するまでの期間を「生有・本有・死有・中有」の四有に分類する思想があります。即ち、生有=誕生の瞬間、本有=誕生から死亡までの期間、死有=死亡の瞬間、中有=死亡から次の境涯に再生(転生)するまでの期間です。中有は中陰ともいいます。
○日本仏教「十三仏信仰」
故人の中有期間に関して、日本仏教では「十三仏信仰」がよく知られていますね(室町時代あたりの日本で成立したと言われています)。死者は死後の世界において、生前の行いについて幾度かの裁判を受けますが、その各裁判において死者を守護(弁護?)してくださるのが十三仏です。各裁判を経て、死者は次の境涯が決まっていきます。
七七日である四十九日には、仏国土往生・涅槃(解脱)・六道輪廻(生まれる欲界の場所)のいずれかの道が決まり、おそらくそれ以降の裁判にて各々の道の中における更に詳細な道が確定していくような流れではないかと思われます。
○チベット仏教「死者の書」
チベット仏教にも、中有(バルドゥ)において死者の前に仏(正確には自身の本来の法身や報身が現れたものであり、仏の幻影)が日毎に現れ、解脱に導こうとします。この目の前に現れた仏達が自身の心の本体であると、覚ることができた時点で輪廻から解脱することができます。かなり大雑把な説明になりますが、「死者の書」によると、最初のチカエ・バルドゥ(死の瞬間の中有)からチョエニ・バルドゥ(存在本来の姿の中有)の前半に寂静尊が、チョエニ・バルドゥの後半に忿怒尊が現れます。
チカエ・バルドゥで3日半~4日半、チョエニ・バルドゥの寂静尊で1~7日と忿怒尊で8~14日と続き、ここまで来ても覚ることができなければ(生前、修行に馴染んでいない者は通常覚れずにここまでやって来るようですが)、いよいよヤマ王(ただし、これも幻)が出現してきます。そして、命日から49日目にはシパ・バルドゥ(再生の中有)にて、六道輪廻転生先(生まれる欲界の場所)が決まっていくような流れであると思われます。
○金剛界曼荼羅の三十七尊
金剛界曼荼羅(インド中期密教)における三十七尊は以下の通りであり、チベット仏教「死者の書」における寂静尊五仏は、金剛界五仏と同じであることが分かります。そして、「死者の書」はインド後期密教の流れを引き継ぎ、金剛界五仏を更に総括する第六仏=本初仏である法身普賢が最上位に位置しています。
そして、金剛界曼荼羅の八供養菩薩は「眷属の菩薩女」として登場しており、金剛界曼荼羅の四門を守る四摂菩薩の尊名は女性形「四門衛神妃」になって登場しています。
また、忿怒尊の7日間において、五仏は五ヘールカの姿で登場します。ヘールカは後期密教に登場した仏格であり、中期密教の明王から移行したものではないかと思われますが、詳細は不明です。
五ヘールカは、明王、即ち五仏の教令輪身である五大明王に該当するのではないかとも考えられますが、異なるようですね…
原始仏典には、死から再生の中有に関する記述はあまり出て来ませんが、筆者は十二縁起の主な舞台こそ中有期間ではないかと考えています。このあたりは考えがまとまった時にまた触れたいと思います。