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【1】『日本の弓術』(オイゲン・ヘリゲル)
大正13年(1924年)に、東北帝国大学の教員として来日し、日本に滞在したドイツの哲学者、オイゲン・ヘリゲルが書いた、日本文化論とも言える弓術の本。
西欧の合理的・論理的な精神をもつドイツ人と、日本の非合理的・直観的な思考をもつ弓術の達人とのやりとりから、西欧の文化と東洋の文化の違いがあぶり出され、その輪郭が見えてくる隠れた名著。
師範の阿波研造氏に師事し弓術を始めるが、雲をつかむようで全くその意味がわからない師範の言葉に戸惑いながら、弓術の本質へと近づいていくさまが、ある種コントのように面白い。
〈本文の一節〉
「あなたは無心になることを、矢がひとりでに離れるまで待っていることを、学ばなければならない」(阿波研造先生)
「しかしそれを待っていると、いつまで経っても矢は放たれません」(ヘリゲル)
「術のない術とは、完全に無我となり、我を没することである。あなたがまったく無になるということが、ひとりでに起これば、その時あなたは正しい射方ができるようになる」(阿波研造先生)
「無になってしまわなければならないと言われるが、それではだれが射るのですか」(ヘリゲル)
「あなたの代わりにだれが射るかが分かるようになったなら、あなたにはもう師匠がいらなくなる」(阿波研造先生)
弓術の達人の教えには、写真に通ずるであろう真理が多々あり、非常に勉強になる。(写真に限らず、全ての表現に通ずることであろうが。)
シャッターを切る瞬間に、作者の意識が意識無意識を超えて100%入る写真も、ここで語られている弓術の本質と同じなのであろう。
「良いものを撮ろうという思いが強すぎると、それは臭みとして撮るものに入ってしまう」
では、「良いものを撮ろうという思い(欲)」とどう向き合えばよいのか。
瞬間で映像を射る行為とも言える写真と、ここに書かれた弓術の世界、
そのどちらにも通ずる真理が、この本には綴られている。
『禅』(鈴木大拙)と、セットで読むのがお薦め。
『日本の弓術』(オイゲン・ヘリゲル)