『改革が作ったアメリカ』森丈夫の章のファクトチェック(2)アナクロニズムー近世における主権の問題ー

アナクロニズム(時代錯誤)・・・歴史を専門とする者が犯してはならないタブー。例えば、時代劇の武士がスーツを着てネクタイを結んでいたり、カール大帝が馬でなく自転車に乗っていたりするような例があげられる。各々が属する時代が互いに合っていないということ。

木俣元一「美術とアナクロニズム」『学園だより』(名古屋大学)169号(2016年11月)、1頁[https://www.nagoya-u.ac.jp/academics/upload_images/v169.pdf]。

前の記事では、全体的な研究動向ならびに個別の先行研究に対する森の理解度、つまり、本質論ではなく状況論や段階論の必要性を訴えていたことの妥当性を検討した。その結論としては、先行研究ですでになされているので「訴え」を起こす必要はないが、状況や段階を把握していくこと自体は同意できるものであった。今回は本論に進み、森が初期アメリカの各地域・各時期の状況や段階を的確に把握しているかを問題とする(ひとまずヴァージニアのセクションを集中的に見たいので、各地域・各時代といえどもこの記事は17世紀のヴァージニアを対象とする)。なお、森はその状況や段階を考えるうえでも、「友好/対立/支配などの総括的な概念ではなく、具体的にイギリス人と先住民はいかなる関係を取り結」んだのかに注意すると、「はじめに」で述べている(43頁)。私は、森の別の出版物(遠藤泰生編『近代アメリカの公共圏と市民』所収の論文)を批評した他の記事「アナロジーとテレオロジーの落とし穴」で、テレオロジー的見方によって過去の当時の文脈がおろそかになっていることを指摘したことがあるが、今回も類似して、当時の国家間関係とはどのようなものだったのかに忠実である必要がある。

近世ヨーロッパの国家間関係といえば、複合君主政論が日本でもかなりさかんに議論されてきた。日本西洋史学会をはじめいろいろなところでシンポジウムが組まれてきたし、古谷大輔、近藤和彦編『礫岩のようなヨーロッパ』(山川出版社、2016年)にはケーニヒスバーガやエリオットの論文の日本語訳が所収されている。当時の国家間関係はまさに礫岩の視覚イメージのごとく、それぞれ主権を維持した複数の国家が1人の君主の傘下で集塊をつくっていた。君主は各構成体の統一・均質化を強行できるほどの力は持っておらず、そのプロセスはなかなか進まなかった。この議論は、中世から近代への移行としての近世の時代相をくみとっていくものである。

この複合君主政論はヨーロッパの帝国が進出した大西洋世界・アメリカ大陸にも適用可能である。ヴァージニアの場合、森が説明するように、1644~46年の戦争の和平条約で、パウハタン連合王国首長ネコトワンスがイングランド王を上位の存在として認め、国王代理たる総督に対する貢納の支払いも約束した。この条約をもって森は、両者が「主権者間の同盟という形式を失」ったと述べている(47頁)。しかし、当時のあり方からすれば、他の国王を上位者と認めたり貢納の関係になったりしても、これらは下位者の国家の地位ないし主権の喪失を意味しない。当時の思想家たち―ボダンやグロティウスやヴァッテル―はそろってそのように明記しているし、17世紀後半ヴァージニアの具体的事例をふまえた研究も、パウハタン貢納諸部族の主権が維持されていたことを指摘している[1]。実質的に自律的意思決定がどれほどできたかは議論の余地があるとしても、この条約によってその形式が失われたということはできない。

その個別の研究を一つ紹介するなら、この和平条約以降のパウハタン先住民=植民者関係の事象で、研究者フレデリック・グリーチはパウハタン王国の主権の保持がうかがえる一例を提示している。1656年に入植地の近くに移住してきた外部先住民(パウハタンではない先住民)との戦闘が起きたとき、植民地議会は、パウハタン先住民に協力を要請するにあたり、「トトポトモイやチカホミニ族そして他のインディアンたちにメッセージを送る」ことを「総督と評議会」に要望した。植民地議会が直接ではなく、あくまで総督と評議会を通したところに、別個の政治体としての性格を読み取っている。

結局のところ、このグリーチの研究書は初期ヴァージニアの先住民関係を調べ始めれば必ず出会うといってよい文献であり、森の誤りは部分的には読書量の不足に帰するものかもしれない。同時に、森は「はじめに」で謳った通りに具体的な関係性を詳らかにするために本論で条文の内容を記したが、条文を読んで解釈するうえで必要な当時の国家間関係一般を明らかにする、近世西洋史の濃密な議論に耳を傾けてこなかったともいえるかもしれない。結果、森の「段階」の移行は速すぎ、ミドルグラウンド論登場以降の「多元的な政治空間」(41頁)としての北米大陸像を弱めすぎていて、パウハタン王国とブリテン帝国の関係性の実態をとらえ損ねている。


[1] Frederic W. Gleach, Powhatan’s World and Colonial Virginia: A Conflict of Cultures (Lincoln: University of Nebraska Press, 1997), 183, 188; Russell Dylan Ruediger, “Tributary Subjects: Affective Colonialism, Power, and the Process of Subjugation in Colonial Virginia, c.1600–c.1740” (Ph.D. diss., Georgia State University, 2017).

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