言葉にしづらいものを奥から取り出してみた。
Twitterのフォローを0にして、少し情報の鎖国をしてみた。
自分を客観視して、状況・環境・世界・過去・未来を胸の内側にある魂の奥から引っ張り出すために。把握をすることで、今の生活・自分という体の細胞の塊に肯定感と誇りが生まれる。2秒先の出来事を肯定的に捉えられるように。そんな時間を過ごすことで感じたことがある。
何かを始めるには何かを捨てないといけない。
終わりがくれば、始まりが来る。
1つのことを極めようとするなら、とことんやった方がいい。
当たり前のことだよ、草くん。みんなわかるって。こんなことくらい。
ただ、こんな当たり前の事しか出てこなかった。
僕は複数のことを同時に行うのは得意ではない。サッカー・勉強・人間関係。大学の中で生活しているけれど、いまいち思い描く理想を手に入れられてない。一体卒業したらどうなるのか。大学の中で生活しているなら、その大学生活の範疇にしかならないだろうか。自分の環境・関わっている人に自分も似てくる。そこからぶっ飛んだ結果・発想は生まれない。実生活からかけ離れすぎた夢・目標は叶えるためにそれ相当な時間と精神的な力が必要になる。しかし、叶えたい・変わりたい。そう静かな心の奥が思えば思うほどに熱くなってくる。ただもう世界は意思と実力があれば、何でも叶う世界ではない。これからはそれを掴み取る運も鍵となる。1年前、僕は日本を出た。アメリカに来て、アメリカ社会の流れの中にいる。いい形で日本社会から離れることができた。18歳までの全てを変革することができた。このサッカー留学がもたらした物は計り知れない。特に短期大学で良かったとも思う。2年間の間に20歳を迎え、いち成人として卒業後の道を決める。都合がいい。サッカーと勉学は切り離す。勉強すべく四年制に編入してもよい、別の事をしてもよい、この2年間は確実に今後の最高の準備期間になることは間違いない。
アメリカに来て、全てを変えてみないか。