GINZA SIX 蔦屋銀座の展覧会について②FOAM CONTEMPORARY

自己/展覧会を埋葬することで、そこに大きな空間ができ、想定もしないような他者が侵入してくる。この展覧会場アートスペースFOAM CONTEMPORARYにもそれは当てはまる。アーティスト自身と展示空間を空虚にして、そこに現代社会の悪魔を呼び込み、自分を傷つけることで悪魔祓いをしようとしているようにも思える。

ギャラリーの解説によれば、
「血液を用いたり、タトゥーや、写真、陶器など多様なメディウムを通して独自の死生観を表現します」
とある。

自分の皮膚に描く、自分の血液で描く、など確実に痛みを伴うフィジカルな表現は、自分の中に潜んでいる他者を際立たせる行為と考えられる。

大きなベニヤ板に描かれたドローイングは、非常に繊細でバランスが取れているがそれを嫌悪するかのように、乱暴に檻が描かれ、無惨に切りとられる。最初僕は、アントニオ・タピエスや70年代の芸術運動「アルテ・ポーヴェラ」を想い出していたが、タピエスにとってのフランコ政権や、「アルテ・ポーヴェラ」にとってのブルジョア芸術や複製芸術のような明確な仮想敵を持ちにくい現代において、彼は自分自身を仮想的に見立てるしかない、と考えているかのようである。

一方で彼の本質的な要素である「対象への限りない共感性(エンパス)」が、悪魔祓いによって自身が悪魔になってしまう直前で、それを止めることを命じる。
それが彼の諧謔性(悪ふざけ)/パロディの現れである。そのレイヤーは、よく見るとそこかしこにある。

彼が「イリーガルに近いから」と恐る恐る説明した自分の血液で書いた板は、伏見城の血天井あるいは小沢剛の醤油画を彷彿させる。お腹に無作為に掘ったタトゥーは、人を威嚇するために掘られる刺青芸術を皮肉っているようにも見える。(皮肉っていうのがいいね)これらは日本人の義理や権威に対するアイロニーとして読むことができる。(つづく)


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