ラカンから考える命
ラカン的精神分析を理解しないと ポスト構造主義を理解できないといわれている 今日はラカンの基本的な理解をしておこう
確かに精神分析は仮説であるが 現実にも効果的である 夢は万能ではないが 何らかの象徴の可能性もある 夢の内容を理解できないのは 人間が全てを理解できているわけではないのだから 仕方のないことだろう
人間理解は合理だけでは難しい 過剰さについての理解が必要である 言語は万能ではないが 他の動物と明快に分ける 食や性の快楽は言語的だと言える 言語によって生まれる新しい快楽(欲動)は、逆に考えると新しい苦痛を伴う 言語は苦痛も作り出すのである
【欲動】欲動の対象は定まっていない(可塑的である)
フェティシズムあるいは性欲の多様性は 本能からの逸脱(倒錯)であり 逸脱は言語的である
ラカンは、そこに至る過程をいくつかの段階として捉えた ノイジーな認識を制限していくことで世界を理解する
【母の不在→疎外】こうした疎外のスタートは 母の不在から始まる 不安から安心 それが快楽を生み出す
【享楽とエディプスコンプレックス】
一方で 不安が大きければ快楽が大きくなる(享楽)
父親は母との関係を邪魔する 父を憎み母を取り戻そうとする(エディプスコンプレックス) それを諦めることが去勢である 母の欠落(疎外)を埋めようとすることが 人生 それが欲望である 何かほしいという気持ちは そのために起こる しかしどこまでいっても それは満足しない それは死ぬまで続く
【想像界】
感性 イメージ 鏡によって認識する 鏡像段階 自己イメージは外から与えられる 区別を超えたつながり リゾーム的広がり(シュルレアリスム)
【象徴界】
混乱したイメージが 言語によって客観化される認識 あっちとこっちの違いをつける 絵を描く 第二の世界(制度)
【現実界】認識と意味によって把握できない世界 認識から逃れる世界 意味以前 不安ゆえの享楽 本当のものは手に入らない
いのち
ぼくらは
まいにちきょせいされ
なきさけんで
おっぱいと
やわらかいはだを
もとめる
あきらめて
にくしみと
ことばを
もらって
たたかうことを
おぼえる
あいてをうちまかして
よろこびをえる
あいてがくるしむ
ぼくらは
こうふんしている
せいてきに
おぞましいが
それが
にんげんになること
ことばをつかって
いきていくということ
おりあいはつかない
にんげんは
ことばで
いきるから
しぬことができる
しねばほとけになる
それがすくいである