童話『スチュのぼうけん』第一話
スチュは男の子の多くがそうであるように物心ついた頃から機械いじりが好きだった。幼稚園に入ってすぐに家の懐中電灯を分解して、年長になると今度は目覚まし時計に挑戦した。その結果、時計は動かなくなった。
母に怒られると思ったスチュはベソをかいたが、母は頭ごなしに怒ったりする人ではなかった。
「これからは分解するのは自分の玩具だけにしなさいね」
母はそう言って泣いているスチュを慰めた。それ以来、スチュの楽しみは自分の玩具の分解になった。だから家にあるスチュの玩具は半分くらいが壊れて動かない。そんな壊れた玩具でもスチュにとっては大切な玩具に変わりはない。
いつだったか母が壊れた玩具を捨てようとして、ビニール袋に入れた時のことである。それを見たスチュは血相を変えて走って来た。
「お母さん、僕の玩具、捨てないでよっ!」
スチュがあまりにもかんかんに怒るので、母は呆れてしまった。
スチュの一家は年二回、家族そろって田舎の祖父の家に帰省する習慣があった。祖父の部屋には家では見たこともない古いステレオがあった。
ターンテーブルに乗ってクルクル回る黒いレコードをわき目もふらずに見ていたスチュは祖父に訊いた。
「おじいさん、レコードはどうやって音が出るの?」
祖父は少し驚いた顔をしたが優しく教えてくれた。
レコードの表面には渦巻の溝が刻んであって、その溝をレコード針がなぞっていって音を拾っていくこと。レコード針はトーンアームという棒の先の方に付いていること。
祖父はトーンアームに指をかけて、レコード針を回転しているレコードの外側ギリギリの所に持っていく。そこからレコード針をレコードの表面にゆっくり落とす。プチッと音がしてから音楽が始まる。
トーンアームはレコードに刻まれた外側の溝から内側の溝に動いていく。溝が一番内側に来たら渦巻は終わり。そうなったら、もう音楽は鳴らない。丸い円になった溝の同じ所を針が通ってプチッ、プチッと小さな雑音をいつまでも繰り返すだけだ。
レコードが終わると、椅子に座っていた祖父は立ち上がり、ステレオのそばに来て、指でトーンアームを持ち上げて、トーンアームを止めておく所に戻す。
次にターンテーブルの回転を止めて、ターンテーブルに乗ったレコードを裏返しにして、また同じようにレコード針をレコードの表面に落とす。これで裏側の音楽が始まるのだ。何とも面倒なことであるが、スチュにはその作業が魅力的に感じられた。レコードにはA面とB面があり、裏返すと違う音楽になることもスチュには新鮮だった。
「おじいさん、ぼくもしたい」
子どもらしくスチュは祖父にねだった。
「ああ、これはスチュにはまだ難しいよ。うまくやらないとレコードを傷つけて、きれいな音が出なくなってしまうからね」
祖父の言葉はスチュにはとても残念だったが、そんな顔は少しもせずに、
「うん、わかった」
聞き分けよく諦めることにした。以前、家の目覚まし時計を壊してしまったことがあったからだ。
「おりこうさん」
スチュは祖父に頭を撫でられてニコッと微笑んだが、本当のところ、こんなことで頭を撫でられるのは少しも嬉しくなかった。
祖父の家でレコードを聴いてから、スチュはレコードに興味津々になった。でもスチュの家にはレコードがなかった。レコードが聴けるのは家族みんなで祖父の家に来るお正月とお盆の時だけだった。
それから一年後、スチュが小学一年生になった最初の夏休み、スチュは祖父の部屋で二人きり。祖父のステレオを聴いている。祖父は大きな椅子に座って楽しそうに体を揺らしている。
祖父の家にあるのは古いレコードばかりだった。幼稚園で聴いていた歌とは全然違う。外国の歌で何を歌っているのか分からず喧しい歌だった。
でも今聴いている音楽は去年の音楽とは何故か違うように聞こえた。スチュは祖父に訊いた。
「ねぇねぇ、おじいさん、これって去年と同じレコードなの?」
「そうだよ。アメリカで発売されたビートルズのセカンドアルバムなんだ」
祖父が見せてくれたレコードジャケットにはセピア色の写真が沢山ならんでいた。四人の若者達の写真。それには確かに見覚えがある。
今聴いている歌は意味は分からないけれどエネルギーがほとばしっている感じがした。お兄さんたちが一生懸命歌っているのがスチュの心に響いてきたのだ。
去年は喧しいばかりと思っていた大人の音楽が今年は分かるようになったんだ。スチュはそう思った。自分が大人に近づいたように感じて、スチュは少しだけ嬉しくなった。ステレオが鳴らす音楽を聴きながら、何時の間にかスチュも祖父と同じように体を揺らしてリズムを取っていた。
そんな時、祖父は突然立ち上がった。レコードはまだ終わりそうにないのにである。祖父は部屋の隅に立てかけてあったギターの所に来ると、そのギターを持ち上げて、ジャカジャカと鳴らし始めた。まるでレコードのジャケット写真にあった男の人みたいに。
その姿がスチュにはとても楽しそうに見えた。スチュは思わず言ってしまった。
「おじいさん、ぼくにもさせて」
スチュはそう言ってから、去年、祖父から「スチュにはまだ難しい」と言われたことを思い出した。だから今度もだめかしら、そう思ったのだが、
「おおっ、やってみるか」
祖父は目を細めてそう言うと、自分が抱えていたギターをスチュに持たせようとしてくれる。スチュは大喜びだ。でもギターのネックを手にしたとたんスチュは驚いた。とても重くて持てない。幼稚園で遊んだ玩具のギターとは全然違うことを知った。
「やっぱり無理か。エレキギターは重いからなあ。小さなウクレレでもあればいいんだけど……。ああそうだ、あれがいい。ちょっと待っていなさい」
祖父はそう言うとスチュを一人残して部屋から出て行った。
何だろう? そう思ってスチュが大人しく待っていると、祖父はすぐに戻ってきた。その手にはギターより少し小さな箒があった。
「これでギターの代わりができる。おじいちゃんもスチュくらいの時には、ほうきギターでよく遊んでいたんだよ」
祖父はスチュに箒を持たせた。箒は新品みたいで綺麗だったが祖父の本物のギターと比べると貧相な事この上ない。
スチュは自分が子どもであることも忘れて、心の中では『こどもだましだなぁ』と思った。もし箒を持ってきてくれたのが母だったら、『こんなのいやだ』と突っ撥ねるところだったが、祖父にそう言うのは何だか申し訳ないような気がして言えなかった。
スチュは渋々ながら、箒をギターのようにして構えた。
「いいぞいいぞ」
祖父は嬉しそうに言う。ステレオから流れるレコードの音楽に合わせてスチュは祖父と一緒にギターを弾く真似をすることにした。すると、
あれれ、どうしたんだ? こども騙しと思っていたみすぼらしい箒ギターではあったが不思議と楽しくなってくる。スチュはまるで騙されたような気分になった。
そんなことをしてスチュが祖父と遊んでいると、祖母が部屋に入って来た。
「まあ、小さなビートルちゃん。かっこいいわね」
祖母はスチュがすることは何でも褒めてくれるのだ。祖母の手にはトレイがあった。何かお菓子を持って来てくれたらしい。
「スチュ、セッションは中断だ」
祖父は自分のギターを床に置いた。それからスチュと祖父と祖母の三人で水羊羹を食べた。スチュには初めての水羊羹。家で食べるゼリーみたいだったが、ゼリーよりも大人の味がするように感じた。
スチュはレコードジャケットの写真を指差して祖父に訊く。
「この人の名前は何っていうの?」
「彼はジョンレノンだ」
スチュは祖父からビートルズについて教わった。
祖父が今のスチュと同じ頃に活躍していたイギリスのロックバンドで、彼らが歌っているのは英語だということ。
自分たちで作詞作曲し演奏するスタイルを世界中に広めたこと。
今、音楽を仕事にしている世界中の人たちは、多かれ少なかれビートルズから何らかの影響を受けていること。
だからビートルズは現代音楽の基礎を作った音楽家だということを。
つづく
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