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庭のカエデを薪ストーブに焚べる

思い起こせば、2018年9月の台風18号が北海道胆振(いぶり)地方にもたらした被害はなかなかに甚大でした。

幸い我が家は無傷……かに思われましたが、台風一過、カーテンを開けてみれば、庭のカエデが根元からバキッと折れているではないですか。

それなりに屈強そうに見えたカエデでしたが、成木をこの庭に移植してまだ6、7年ほどしか経っていませんでした。今から思うと、悠々と枝を広げた地上部分をしっかと支えるまでには地下茎が十分に張り巡らされてはいなかったのかもしれません。ときどきは職人を入れて剪定にも心を配るべきだったかと嘆いてはみたものの、後の祭りとはこのことです。


台風前
台風後


ただ、いつまでも嘆き悲しんでばかりもいられません。ご近所さんの女性が「あららら……」と独り言ちながら倒れたカエデに釘づけになるのをレースのカーテン越しにこっそり眺めるのも気持ちの良いものではありませんし、このままでは芝刈り機を使うこともままならず、そのうち草ぼうぼうとなり、なおさら荒んで見えるに違いありません。そのとき思い至ったのが、

「そうだ、うちには薪ストーブがあるんだった」

という事実でした。幹と言わず、枝と言わず、倒れたカエデをぜんぶ薪ストーブに焚べてしまおう、という稚気がふつふつと湧いてきたのでした。

札幌生活十数年にして、より北海道らしい暮らし方を求め、洞爺湖にも近いこの地・伊達市に移住したのが2013年。憧れの薪ストーブも手中にしたのですが、そこはヤワな「自然指向」人間なものですから、焚べるべき薪は専門の業者さんから1立米、すなわち軽トラの荷台一杯分を2万円かそこらで配達してもらっていたわけです。カエデが逝ったいまこそは、自家製薪づくりを始める恰好の機会かも……と思いました。

そもそも薪は乾かすのにも時間を要しますから、夏も終わろうかというこの時期、ぼやぼやしているとすぐに雪が降ってきてしまいます。

クルマを走らせ、ホームセンターで真っ先に買ったのが電動チェーンソー。今回、小型の、モーター駆動式にしたのは、エンジンを回す本格的なのは高価であったということもありますが、この先の人生、「チェーンソーで木を倒す」巡り合わせはそうそうないと思ったからです。

薪は長過ぎても短過ぎてもいけません。長過ぎるとストーブの蓋が閉まりませんし、短過ぎるとガレージの薪ラックからこぼれ落ちてしまいます。

初めてのチェーンソーで、最初はおっかなびっくり、その倒木を慎重に慎重に切り刻み出したのが、それなりに慣れてくると、バーン、とチェーンソーの先端を持っていかれたりもしました。幸いなんでもなかったのですが、こうやって取り返しのつかないヒューマンエラーは起こり得るんだな、と身震いもしました。

こうして庭のカエデは、一部葉っぱを付けたままで薪に姿を変え、乾燥のためいったん薪ラックに積まれたのですが、切り株を並べてみれば、業者から買った1立米=2万円の薪に比べ、まだまだ若くて瑞々しい幼木だったことが改めて悔やまれます。薪にするには20年も30年も早過ぎたことをいまさらながらに実感したのでした。

その後、庭のカエデは、翌年の春までには薪ストーブで燃やし切ったのでした。

洞爺湖近くでの薪ストーブのある暮らしは、2020年までのつごう7年続きましたが、一年の半分、薪を燃やすたびに感心するのは、モノは燃やすとほぼ存在しなくなる、といういまさらながらの事実。確かに後に灰は残りますが、燃やした総量に較べれば、残る灰の量などたかが知れています。

ちなみに、両方の両親併せて4人とも火葬で見送りましたが、やはり生きていたときの総量や存在感に比すれば、残った灰など微々たるものでしたし、それは、あんなにも美しく我が家の庭に駿立し、夏は芝生の庭に気持ちの良い木陰をつくり、秋は葉の色を赤く染めては通りすがりの人々を分け隔てなく和ませてくれたカエデとて同じ。後には僅かながらの灰が残っただけでした。

だが、待てよ。ラボアジエが発見したという「質量保存の法則」によれば、化学反応の前と後とでは全質量が変化することは一切ないはず。スチールウールの燃焼実験が有名なように、モノは燃やしたら酸素と結合する分、むしろ質量は増える、ということではなかったか。

もちろん、これは完全密閉の実験装置での出来事が前提条件ですから、「完全密閉」どころか煙突から二酸化炭素も気化した水もじゃんじゃん逃してしまう薪ストーブではまったく事情は違います。

それにしても、あとに残るのは「若干の灰」だけとは、いかにも質量保存の法則との極端な乖離があるではないか、と。

これはきっと、庭のカエデも父母の亡骸も、残った僅かな灰に、煙突から逃げた二酸化炭素や水蒸気を足して、さらに僕らの心に残る沢山の思い出の総量を加えると、ぴったり質量保存の法則に平仄が合うのだと思います。

この際、両親のことは置くとしても、最期は薪ストーブに焚べた庭のカエデのことは、「台風前」「台風後」の2つの情景としてこの先もずっと心の印画紙に残り続けることでしょう。

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