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『お金のむこうに人がいる』の田内学さんと会って、話して、経済と人間のことを考えるのは面白いと改めて思ったこと

田内学さんの『お金のむこうに人がいる』を読んだ後、先日、ご本人と三越前のイタリアン「Da GOTO」で2時間ほどお話をした。美味しゅうございました。

このユニークな本と、同じようにユニークな著者から受けた刺激を書き留めておく。
こちらから「はじめに」が読めます。

個人的なメモのような文章なのだが、「読んでみようかな」と迷っている人の背中をちょっと押せるなら、それは嬉しいおまけだ。
では、つらつらと。

似た者同士?

「似てますよね」
会って数分で田内さんから「読んで、どうでした?」とド直球の質問をいただき、私はこう答えた。『おカネの教室』と経済観・価値観が似ている、という意味だった。
田内さん、文章の印象通り、ド直球を投げ込み続けて会話を進めるタイプである。

つまり、みんなが働くことで、みんなが幸せになる。家の中でも外でも変わらない。これこそが本来の「経済」の目的なのだ。
『お金のむこうに人がいる』p87

『おカネの教室』では、「持ち場を守る」というフレーズが重要な意味を持っている。
それはおおよそこんな考えだ。
大金を「かせぐ」のは一部の人で、大多数の人は「みんなが働くこと」で生まれた富を分かち合う「もらう」人だ。経済的な貢献度だけならマイナスの人だっている。
でも、そんなのは所詮、カネの話だ。
経済は「みんなが幸せ」になるためにある。カネはそのためのツールだ。
働くことに限らず、みんなが「持ち場を守る」ことで、世の中は回っている。
その営為を邪魔してでも金儲けを優先するのが「ぬすむ」人であり、そんな人間を目指すこと、そんな人間をお金持ちと崇拝することは、根本から何かを間違えている。

『お金のむこうに人がいる』最終話の「『助け合い』という目的を忘れた経済」までたどり着いた方なら、「たしかに、似てる」と同意してもらえるだろう。

ちょうどお会いする少し前に、こんなツイートをしたところでもあった。

「今生きている多くの人を優先して」という私のざっくりした言葉は、『お金のむこうに人がいる」p101の「人を中心に考える経済学」の図に通じる、というか、ほとんど同じことを言っている。

年金や財政についての考え方も似ている。

私の口癖は「年金や財政、通貨の信認を『部分』で考えてもしょうがない。『ダメになるときは一国の経済と心中するとき』なんだから」である。

「年金がもらえない」となるのは、国の財政が立ち行かなくなったときだ。
「財政が破綻する」のは、国の経済システム全体が破綻したときだ。
「円が暴落する」のは、日本という経済圏が崩壊同然になったときだ。

国の経済とは「国民の経済活動の総和」でしかない。
その国に住む人が、誰かの役に立てること、やりたいこと、得意なこと、ただ生きることで、それぞれ「持ち場を守って」いけるなら、ざっくり言えば幸せにすごせるなら、年金も財政も通貨も回っているはずだ。

経済はカオスな怪物だ。
複雑系であり、予測も制御も不可能だ。
しかも、経済というか社会は9割がた、慣習や惰性で動く。
経済は、恐ろしく慣性の大きい、巨大でカオスな怪物なのだ。
共産主義も社会主義も新自由主義も、「ボクの理想」をそんな現実の怪物に当てはめようとして、「なんか無理があるぞ」となった。
人間にできることは、「ここは明らかにマズいでしょ」という部分をちょっとずつ修正するくらいで、その間にみんなが持ち場をまもって、たまに「みんな、そこそこ幸せにやってますか」と点検するくらいのことだ。

だから、「お金のむこうの人」、今現在、生きている・働いている人を中心に見ないと、お話にならないのだ。

そうこうしてると、スマホの登場、気候変動、米中対立のような、世界をガラッと変えるコト・モノが起きる。
変化した後も、世界は巨大で、9割は慣習・惰性で動き、あいからずカオスで、制御不能なままで、「コツコツ微修正・せっせと持ち場を守る」に戻るしかない。
人間、そうやって、ここまでたどり着いたのだ。

金利は大事で、面白い

田内さんはゴールドマン・サックスの元金利トレーダーだ。
世界トップの投資銀行で16年生きのこっただけでも、只者ではない。
そんな資本主義の牙城の天守閣にいた人が、なぜ、こんなちょっと「草食系」の経済書を書いたのか、疑問に思う人もいるだろう。
ちなみにレストランでの2時間の会話の3分の1ぐらいは、かなり「肉食系」だった。詳細は書けないけれど、業界話、マーケットトークの類で大いに盛り上がった。
何が言いたいかというと、当たり前だが、田内さんは純ベジタリアン的な草食系ではない。
ここが学者や評論家、NPO・社会起業家などと違ったユニークな点だろう。
『お金のむこうに人がいる』は、草食系の物言いの合間に、チラチラと鎧がみえるところがある。
実務でお金にトコトン向かい合った人は、理屈だけでモノを言う「裸の王様」には屈しない経験知をもつ。

ここから先は私の想像。
田内さんがラディカルな地点までたどり着いたのは、「金利」を扱っていたことと関係しているのではないだろうか。

金利や債券、スワップというデリバティブがトレードの対象とするのは「お金の値段」だ。「現在と将来」「近い将来と少し遠い将来」といった異時点間の金利(お金の値段)を取引して、「もうかった」「損した」と戦う。
株式や為替のトレードでは「損する」はマイナスの収益、お金が減ったことを意味することが多い。対インデックスでの勝ち負けもありますが。金利の世界はちょっと違う。
今は国債市場などにマイナス金利という妙なものが根付いているが、基本的に金利は「将来にはかならずお金は増える」というメカニズムだ。
何もしなければ、お金は増える、はずだ。

では、金利・債券のトレードの「もうかる」とは何かといえば「何もしないより、もっとお金が増える」だ。
「損する」は「何もしなけりゃ、もっと増えてた」。
「お金が減る」まで言ったら、それは相当やらかしてしまった大損だ。
数百億、数千億、数兆なんてものすごい金額でトレードしていると、金利の額もものすごいことになる。
そこで、はたと気づく(と私は想像する)。

この金利は、どこから来ているのか。

「借金で借金を返す」といった自転車操業でない限り、金利の出元は「だれかが稼いだお金=新たな富」だ。
投資銀行でも最も「お金を扱ってます」という純度が高いであろう業務に向き合い続けたことが、ラディカルな問いと答えに導いたのだろう。

以上、私の妄想でした。

付記すると、金利が経済・投資の世界で一番最初に学ぶべきことなのは、経済理論や金融論の土台になっているからなのだけど、上記のように、カネの本質に直結しているから、でもある。
あまり教えてもらえませんけどね、金利のこと。知らしむべからず、なのだろうか。

『お金のむこうに人がいる』は「おわりに」で

「僕たちの輪」をはどうすれば広がるのか?

と問うてくる。

やはりド直球の男、である。

会食の時は時間切れとなってしまったが、この文章で私なりにお答えできたかと思う。
月並みだが、「持ち場を守りつつ、手が届く範囲で広げるしかない」のではないだろうか。
『おカネの教室』も、そんな「広げる」の一助になれば、良いのだが。

まだ書きたりない気もするけれど、きょうはこのあたりで。

最後に田内さんにアドバイスを。
もうちょっと、ゆっくりご飯を食べた方がいいですよ(笑)

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高井宏章
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