子どもの「聞き逃し」へのアプローチ②ほっこり授業で解決!
頑張って「聞こう」とさせなくていいんです
もともと「短期記憶」の保持が難しい子どもに、先生が頑張って「聞かせよう」とすると、指導にかなりのエネルギーと時間が費やされます。
「聞く」ことが苦手な子どもは、クラスに1人や2人ではないからです。先生の指導が「音声」に偏っている場合、もっと「聞かない」子の数は増えます。先生が頑張ることで、音声情報がさらに増える悪循環になりがちです。
先生たちにも言い分はあります。「発表した子に、肯定的評価をしなさいといわれました」とか「聞いてない子がいるので、子どもの発表したことを復唱しています」とか「子どもがうまく説明できないので、ついつい言い直しています」「聞いてない子がいるので、すごく大きな声で、何度も言います」全て子どものことを考えて発せられている言葉なのです。
つまり、先生たちは、「こんなクラスにしたい」という目標に照らして、今の自分のクラスに足りていないスキルを言語化して取り出すことができているのです。
よく耳にする目標は
最後まで聞こう
考えを書こう
分かりやすく説明しよう
筆者が子どもに求める目標は1つです
1.助け合って学ぼう
つまり、先述した「君が居て、私が居て」の授業です。苦手なスキルを持つ子どもに苦手なスキルを努力させるのではなく、周りの子どもが補うという発想です。
情報を得るとき、人は「見る」か「聞く」のどちらかがその一方より優れていると述べました。同じ情報を得ても、受け取り方はみな違うのです。だから、他者がいるほうが、自分とは異なる感性をもつ人がいるほうが、発想が広がり考えが深まるのです。他者をリスペクトすると人間的にも成長し、よりよい自己の存在になろうとするのです。
「君が居て、私が居て、君の学びが、私の学びにつながる」授業は、先生や教科書だけにつながった授業より、協働した学びの方が自己の存在に気づきやすいのです。
ちょっと脱線しますが、
文科省は、「例えば授業の中で「個別最適な学び」の成果を「協働的な学び」に生かし、更にその成果を「個別最適な学び」に還元する」と述べていますが、いかにも「個人の『個別最適な学び』があって、そのあとで「『協同的な学び』だ」のような書きぶりです。だから「個別最適な学び」はタブレットだというような風潮になっているのだと思います。こんな風潮もあり、学校現場では、「協働的な学び」が後回しになっているのだと思います。大事なのは、その前にある「授業づくりに当たっては、『個別最適な学び』と『協働的な学び』の要素が組み合わさって実現されていくこと」のように組み合わせることを授業づくりの中心に据えることが望ましいといえます。
ここから、協働的学びによる「聞き逃し」へのアプローチです。
授業で、他者から助けてもらう、他者を助ける場面を短時間に頻繁に設けます。
先生「今のAさんのいったこと、周りの人が分かったか確認してみよう」
今まで、先生が復唱していたことを30秒程度時間をとってあげるだけで解決します。すぐに話し合うことができなければ、それは理解していないということです。「Aさん、もう一度お願いします」といえば、子どもたちは真剣に聞き直すでしょう。聞き逃した子どもは、2回目でも聞き逃しています。しかし、周りの子どもが、教科書を指さしながらゆっくり説明を言ってくれ、分かるまで説明を繰り返してくれたら、理解できます。1時間の授業で、5回以上確認の機会を設ければ、聞き逃しの子どもに対応した教え方を工夫するようになります。「えー、5回!そんなにできないですよ」と思った先生もいるかもしれませんが「30秒×5回→2分30秒」です。
ぜひ、試してみてください。
次回は、ほっこり授業の技術を紹介します