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読書感想#3 【時間は存在しない】時間って、そんなにあやふやなの?

皆さんは、「時間」って何だろう? と疑問に思ったことありませんか?
とてもつまならい講義を聴いている時の時間の流れと、夢中に本を読んでる時の時間の流れ、全然流れる速さが違う、、。

誰もが、思う疑問。

まあ、実際に流れる時間と、自身が感じる時間は、違うよね。
と、理解するのですが、年齢を重ねるたびに、時間の流れが速くなる。

やっぱり、興味が湧く「時間」の正体。
この本は、「時間」を最新物理学からアプローチで読み解いた本です。
読了した感想は、「人類って、ずっと時間を探求していたのか。最新物理理論だと、こんな時間の捉え方があるのか。驚き!」


時間の歴史 偉人たちが考えた”時間”

人類は、自然を思索し始めてから、ずっと”時間”ってなんだろう?と考えています。

最初は、自然の思索=自然哲学が生まれた今から2400年前、ギリシア哲学のアリストテレス。
アリストテレスは、事物が変化するのが時間とと定義しました。例えば、リンゴが腐る、つまり時間が流れた、となります。
逆に事物が変化しなければ、時間は流れていないと考えました。暗闇で何も見えず、何も聞こえない空間では時間は流れていない、と考えていました。
つまり、自分が観察できる変化が、時間と捉えていたようです。
流石に、今の常識とは違いますね。
ただ、時間を固有の概念として捉えることが出来るようになるのは、かなりの時間が必要でした。

次は、自然哲学が復古する380年前のイギリス。万有引力で有名なアイザック・ニュートン。アリストテレスから流れること、約2000年。
ニュートンは、事物とは関係なく、独立して”時間”が存在する、と考えました。自分が観察できる変化とは関係なく、時間は流れ、存在すると捉えました。これ、今の常識と同じですよね。そりゃそうだ。うむ。

さあ、次があります。え、ニュートンで終わりでは?
違うのです。今から120年前。アルベルト・アインシュタイン。
アインシュタインは、アリストテレス的時間とニュートン的時間を統合します。ここで、時空という”場”の考えがでてきます。
例えば宇宙空間って、”何もない空っぽ”というイメージありませんか?
実は”空っぽ”ではなく、”場”というモノが在ります。
時間が関係するのが、”重力場” と言われます。
皆さんは、地球から低い場所と高い場所で、時間の流れる速さが異なる、ってご存じでしょうか?
地上に暮らしているヒトと、宇宙ステーションきぼうで暮らすヒトでは、流れる時間が異なります。
つまり、ニュートン的時間の考えが適用できません。
何故か??
下図がイメージです。縦軸が高さ、横軸が時間、縦線が”場”とみて下さい。
ニュートン的時間では、均質ですが、アインシュタイン的時間では、地球という重力に近いほど、この縦線の幅が狭く、遠いほど広くなります。
イメージとしては、重力に近いほど時空という場が狭くなる。つまり遅く時間が流れます。これが、有名な相対性理論。

重力場での時間の流れ方

”地球” という巨大な質量をもった事物があると、それによって”重力場”が影響をうけて、歪みます。この影響は”光”も影響します。この質量が超巨大化すると発生するのが、ブラックホール。時空という”場”が極小化し、その半径=事象地平からは、光を含むすべてが出てこれなくなり、時間も極度に遅くなり”静止”します。

ニュートンの独立した時間と、アリストテレスの観察者の視点=位置に依存する時間。この2つを統合したのがアインシュタインです。

”今”は存在しない。

いや、”今”は流石にあるでしょ、というツッコミが聞こえてきます。

これもニュートン的時間とアイシュタイン的時間の捉え方で大きく”今”の認識が変わりました。

私たちが普通に暮らす世界では、皆同じ、”今”を認知できます。
私が”今”やっている事は、オフィスで隣に座る山田さん(仮)が”今”やっている事、同じ時間の中で、認知できます。
私の”今”も、山田さんの”今”にも、ズレはありません。
これがニュートン的時間のと捉え方。

では、山田さんが、地球から4光年先のプロキシマ・ケンタウリbに行ってしまったとします。
私が”今”、山田さんがやっている事を、超高性能な4光年先を見れる望遠鏡で見るとします。
さあ、どうなるでしょう?
私は、山田さんの”今”を見れるでしょうか?
答え 見れません。
山田さんの”今”は、光による情報伝達に依存します。光の速さをもってしても、プロキシマ・ケンタウリbから光が届くのは4年かかります。
つまり、私が見る山田さんの”今”は、4年前の”今”となります。

これがアインシュタイン的な時間の捉え方です。
つまり、観察者の固有の”今”はあるが、他者を含めた絶対的な”今”は無いことになります。

"熱”って何?

実はここからが、この本の本論です。前置き長くてすみません。
皆さん、”熱”とは何でしょうか?
熱いお湯を入れたコップを、冷たい水を張ったボウルに、入れます。
すると、コップのお湯は冷めて、ボウルの水は少しだけ温度があがる。
コレなにが起きているのか?
水の分子の振動が大きい状態、これが熱をもっている状態、つまりお湯です。この分子の振動がコップのガラスを通じて、ボウルの水の分子を振動させる。コップの熱エネルギーが、ボウルへ拡散した。

エントロピーの増大


この分子振動がある状態を、”無秩序”と定義して、この”無秩序”さがコップからボウルというより大きなモノへ増大した。
この”無秩序”をエントロピーと呼びます。
これが有名な熱力学第2法則、エントロピーは必ずゼロ以上となる。
コレもう少し拡大して説明すると、皆さん 部屋って自然と乱雑になりませんか? この間、キレイにしたのに、1週間も経つと散らかっている。
実はこれもエントロピーの増大なのです。
部屋が整っている状態がエントロピーが低い状態。散らかっている状態が高い状態。自然、高い状態になる。エントロピー増大です。

だから、散らかるのは、自然法則なのだ!!
と、少し迷走しておりますが、、理解としては正しいです。

世界はエントロピーで満ちている

世界全体も同じ法則で動いています。

初期宇宙、初めに水素という低エントロピーの状態が生まれました。
そこから次の元素、ヘリウムが生まれるには、この水素が局所的な偏在で集まり、重力が生まれて原初的な星となり、さらに内部で”核融合”が発生し、その内部で水素から、高いエントロピーである、ヘリウムが生まれます。
低いエントロピーの水素から、高いエントロピーのヘリウムへの遷移へは、”核融合”というトリガーが必要になっています。

生物も同様なことが起こります。
植物は、太陽という低エントロピーから”光”を受け取り、光子を貯めます。動物は、他の動物という低エントロピーを捕食して、細胞にブドウ糖として取得し”化学反応”というトリガーを起こし、より無秩序な状態、高エントロピーな生物活動の状態に遷移させます。

焚火も同様。薪という炭素と水素が出来た状態。これは積み上げておけば、何か月がこの低エントロピーで保たれます。それを組み上げて、”マッチ”を擦り”着火”させるというトリガーで、この状態が壊れ、焚火という高エントロピー状態に遷移します。

このように、世界は低エントロピー状態を資源に、何かのトリガーで、高エントロピー状態に遷移することで成り立っている。この遷移が、”時間”だと作者は論じます。

エントロピーが僕らが体感する時間の正体

え、、? って感じですよね。どういうこと?
このエントロピーの低い状態から高い状態の遷移が、過去・未来をヒトが認知する因果になっている。
このエントロピーでしか、ヒトは時間を認知できない。
筆者が論じてる核がココにあります。

皆さん、過去ってどうやって認知しますか?
普通は”記憶”ですよね。脳に残る”記憶”。もうちょっと時間が長くなると、書物という”記憶”。化石という”記憶”。プレートテクトニクスの造山運動(山脈)という”記憶”。
何かに固定化=”痕跡”となっているものを、現在確認して、過去と僕らは認知します。

この”痕跡”は、エントロピー増大の熱が発生した後、低エントロピー状態として固定化されたモノと定義しています。
脳もシナプス電流に発火の結果の痕跡。書物は、ペンで紙を記述する熱の痕跡。化石も生物活動を固定化された痕跡。山脈も、激しい造山運動で隆起した結果の痕跡。すべて、低エントロピーで秩序だった状態です。

では未来は?
エントロピーの低い状態から高い状態に向かうのが、時間であれば、高エントロピーの状態=無秩序な状態なので、”痕跡”はありません。なので未来は認知できません。

自分がいるから”時間”がある

エントロピーが時間である、というのは私たちが認知レベルです。少し私たちの知覚から離れて極微の世界、量子の世界の時間を見てみます。

事物の極微、分子、原子、さらに極微に踏み込むと、粒子=量子 の世界となります。この世界での時間の流れは、とても特殊です。

量子の世界では、時間は確率的にしか存在しない。

はあ?何それ? ですよね。
量子世界では、粒子は、確率的にしか存在しません。位置と特定すると速度が変わる。逆も然り。この”特定する”というのは、私たち”観測者”が観測した状態を指します。これを、不確定性原理 と呼びます。

量子世界では、私たちが観測することで、存在が確定する。
量子世界における過去・未来は、”私たち”が観測するまで確率的にしか存在しない、となります。

つまり、極微の世界では、過去・未来を確定させるのは、”自分の視点”というアイデンティティが基軸となります。
このアイデンティティ=自我を筆者は3つで構成されていると説きます。

一つ目は、各々が世界に対する”一つの視点”であり、相互関係を通じて反映される過程である、と定義します。

二つ目は、世界を反映するなかで、自らが世界を組織して実存にする。
自分とは別の人間という生命体、このプロセスを認知して、自身の中に他者の影像を構築する。そのような相互作用の中で、自我が出来ていると定義しています。

三つ目は、記憶。私たちは刹那の相互作用の寄せ集めではなく、”記憶”という名の特殊な糸で過去と結び付けられています。

脳は、”過去”の”記憶”を基に、”未来”予測るように発達し、その長期予測の行動で、ヒトは生存してきました。
”未来”のために、種をまき穀物を育てる、狩りをして保存する、科学技術に投資する。
全て、ヒトが生存確率を高める行動です。これに最適化するような形で、脳の神経構造は進化してきました。
こ神経構造が、時間の流れを認知してきた、と筆者はまとめています。

まとめ

筆者は、”ループ量子重力理論” という量子の考えを重力に適用する理論を提唱する科学者です。
最新物理学をヒモ解くと、時間の”過去・今・未来”という概念は固定化されておらず、相対的で確率的にしか存在しない。

私たちの認知が、”過去・今・未来” つまり”時間”をつくっている。

本の中では、アウグスティヌス、カント、フッサール、ハイデッガーなどの哲学者の時間認識も用いて、ヒトの認知としての時間を説明しておりました。

僕は、この”時間”の認知が、事象との相互作用という横糸と、記憶という縦糸が織りなす、織物のようで、とても仏教 唯識論的だと感じます。
*唯識については、”唯識の思想”という感想文を投稿してますので、お時間ある方は、そちらを読んでみてください。

デカルトは、”我思うゆえに、我あり” と言いましたが、
”我思うゆえに、時間あり” という感じでしょうか。
実際の物理世界は、宇宙という極大、量子という極微 この2つの世界を探索すると、ヒトに認知(常識)とは異なりますが、何故か、世界を構築するには、ヒトの認知が基軸となる。

科学と哲学が、渾然一体となっている世界が現出します。
僕は、それがとても面白い。

今回の投稿も長文になってしまいました。
ここまでお読みいただき、本当にありがとうございます。
共感いただけた方、またのお越しをお待ちいたします。


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