宗教の事件 11 「オウムと近代国家」より 三島浩司

●組織論から見るオウムと日本赤軍

・・・・・・三島さんは日本赤軍の弁護もされているわけですが、先程の質問とも重なりますがもう一度しつこくお尋ねします。三島さんから見て、日本赤軍の過激派とオウムの信者を較べるとどんな違いがありますか。それとも、同質な部分もありますか。

三島・・・・・・全然違うと思うね。日本赤軍や東アジア反日武装戦線の場合は、ある意味で意識化され過ぎているのではないだろうかね。彼らは路地とか闇とかいうものを否定すべき対象として見ているし、物事を極端に抽象化する。ただ、だからといって彼らに路地的な要素がないわけではない。
二・二六事件の将校たちが決起する背景にあった「東北の人民は飢えている。娘は娼婦として売られている」というものを一方で濃厚に引きずっているわけね。引きずりながら、ひとつの飛躍として日本的なものや生のものを抽象化する。そうすると、けったいなことになるんですね。つまり、革命の敵は現実に生きている人民ということになるわけだ。ところが、彼らの内部に路地的なもの、東北の人民の飢餓に対する想いがあるものだから、個々の人間の命の問題を突き付けられると、今度は突如として自らの全否定に転換する。

・・・・・・そういう矛盾を前提としたドラスティックな転換は、かつての「転向」と共通の構造だと思うんですが、とすると、意識化されてない分、そのような転換はオウムの場合起きにくいということなんですか。

三島 そう。それと、赤軍とオウムとでは組織の規模がまるで違う。連合赤軍の場合はせいぜい百人くらいだったけれども、オウムの信者という構成員は一万人でしょう。しかも、組織内の人と人との関係、少なくとも麻原と信者との関係の密度がもの凄く濃い。これを実現したことは、実はもの凄いことのはずなんだ。

これはシンポジウムで言った「肉感の喪失」という問題に関係すると思うのだけど、多くの出家信者にとっては、オウムでの生活は、それまでの日常生活よりはるかに濃密な人間関係を感じさせるものだったんじゃないか。現に、オウムの信者もそういっている。その濃密な雰囲気づくりをつくり得たのは、おそらくは麻原という特別に際立った個性によるところがあるんじゃないかな。

・・・・・・呉智英さんは、その点に関しては全く逆の言い方をされてましたね。実際に組織として動いた人間はオウムよりも少なかったかもしれないけど、連合赤軍には同時代の共感という背景がある程度あった。オウムの場合、そのような同時代的な共感というのはハナっからない。かつては、浅間山荘事件の時など、現地に連合赤軍を説得に行って逆に撃たれてしまったようなそこらのオッサンというのもいたけれども、オウムの場合そういうオッサンを出現させていないじゃないか、と。実際の組織とその背景として存在しえる同時代の共感というあたりの関係性の位相が違ってきている、ということなのかもしれませんが。

三島 そうやね。あの浅間山荘事件あたりまでの時代環境は、まだこの社会に生きている個々の人間同士が肉感を感じることのできる状況があったということなんやろうね。だから、普通のオッサンの心にも呼びかける何かがあったということかな。

日本の近代史のなかで組織がこの種の、誤解されるのを恐れずに言えば求心力を持った例は戦前の日本共産党しかないと思う。話が少しずれるけれど、私はいまでも小林多喜二が好きなんですよ。小林にはいい話があってね、弟が東京フィルハーモニーの第一ヴァイオリン奏者なんです。この弟の才能を認めていた小林は、官憲に虐殺される数日前にも、弟の出る東京フィルの演奏を聴きにいっている。逃亡中の身だから、二階の隅の席で隠れるように聴いていたのだけど、弟は小林に気づく。その途端、「逮捕の危険も顧みずに聴きにきてくれたのか」と思うと、涙が流れてヴァイオリンを弾けなくなるんです。小林多喜二のそんな部分を引きずってなければ、人を組織していくような求心力を持つことができるのかな、という疑問が私のなかにずっとあるわけよ。

・・・・・・なるほど、それは大きな話だな。日本文学でもそうですが、時代時代のモードによってどんなに装いが移り変わろうとも、想像力のある定数としてロマンティシズムの流れ、浪漫主義的伝統が背景には連綿としてあると思うんです。しかし、そういう浪漫主義が、たとえ勘違いにせよ現実に役に立って何か具体的なアクションを起動できた環境がどんどんなくなってきてると思う。だとするならば、その三島さんのおっしゃる小林多喜二的な部分を引きずっているからその組織は求心力を持つ、というのとまた違った求心力の持ち方がいまの状況ではあり得るのではないか。言い換えれば、麻原の持ち得た求心力はかつての小林多喜二的なものとはすでに異質なものなのではないか、という可能性もあると思うんですよ。これはまだ、つぶさに検証してみなければわからないことですけどね。これまでの組織とは全然違う論理で一万人きやがったのかもしらん、と。それはそれでまた怖い話なんですけど。

三島 もちろん、その可能性はある。それはそれで怖いね。ただ、歴史的にみると、だいたいはその種の小林多喜二的な求心性が軸になっていると思う。イエス・キリストもそうだし、キリスト教を世界宗教にしたパウロもそう。私はパウロが好きでね、酒を飲んでいると時にパウロの言葉を思い出すと、泣けてくるんですよ。たとえば「われ童子のとき、語ること童子のごとく、思うこと童子のごとく、感じること童子のごとくなりしが、人となりては、童子のことを捨てたり」と『コリント前書』の13章にある言葉。捨てたということは、捨てられないことだから、童子の頃のことにこだわっているわけだ。イエスの言葉でもそうで、こういう生のままのかたちで出てくるんですね。

パウロはキリスト教を世界宗教にするために、かつての路地的なものを捨てたといっているわけです。ということは、彼にしてみれば捨てきれないもの凄い魅力がその路地的なものにあったわけでしょう。しかし、パウロはキリスト教を世界宗教にするために路地的なもの、童子的なものを捨てて、キリスト教そのものを極端に抽象化していった。だけども、捨てたものへの痛切な愛情の念をずっと抱き続けている。

ロシア革命のことで言えば、私は好きなのはレーニンとマルトフの友情、マルトフというのはもの凄いインテリで、政治センスもある。ボルシェビキの連中はそれは全然わかってないけど、レーニンだけはマルトフの凄さをよくわかっている。私の浪花的想像では、1917年にレーニンのロシア革命が成功したときに、おそらくレーニンはマルトフにこう言ったと思うんです。「友達やから言うとくけど、勝負としてはお前の負けや、俺は組織のトップ、いざとなればお前を殺さないかんようになる。だから、はよ逃げえ」と。

・・・・・・平たく言えば、それは“情”ということになるんでしょうが、現在の日本ですら、そういう“情”がいらないとは誰も言わない。言わないどころか、「心の時代」なんてことすら平然と言う。だけど、これまで、“情”と呼ばれていた領域をそういう「心の時代」てなもの言いで片付けようとする他でもない自分たちがわからなくしている、という自覚がまるでない。みんな口では「心が大事」なんて言っているけど、僕は「そんなしょうもない心やったらいらんわい」と言いたいところがあったりしますよ。


(つづく)


「オウムと近代国家」(南風社)

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