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kyatapy
わたしの躁うつ日記2〜分裂病とアル中の家族
姉の病名は分裂病だった。現在は統合失調症と呼ばれている。当時18才だった姉は真面目で勉強も普通にできたし、どちらかといえば美人で何もかもこれからという感じだった。それがほんの数日で支離滅裂になった。進路について父と揉めたり色々あったらしいが、何も知らない私にしてみれば驚きしかなかった。
姉の不在は長かった。一度お見舞いに行ったら紙を丸めて作ったピンを使ってボーリングをしていた。私のことも認識しているのかどうかよくわからない。体の病気ならある程度想像がつくが、姉の脳内はどうなっているのか?
私も辛かったが、両親の落ち込みようは激しかった。母は隠れて分裂病の本を読んでいたが、覗き見したところ「汚物を口にするような患者もおり」とか、やたらショッキングなことが書いてあり怯えた。
父親は「あれ(姉)はオレとおまえ(母)で担いでいくしかない十字架だな」などと酔ってわめいていた。私は
姉の発病の原因は父と姉との関係と父方の遺伝だと思っていた。子供の頃から父は姉に意地悪だった。姉はメソメソしたところがあり、いちいち攻撃されていた。それなのにお互いを避けることはない。これが今でも続いている(と思われる)共依存的な関係だ。私はこれが苦手で、大人になってからは実家と完全な距離をとっている。
姉が家に帰ってきたのは翌年の春だった。薬でずいぶん調整したようだが、全く以前の姉ではなかった。一日中ブツブツ独り言を言う姉を「気持ちわりぃなぁ」とまた父がディスる。いたたまれなかった。誰のせいなのか。決めつけることはできないけれど、少しは己を振り返ってほしい。でもその手に酒のグラスがある限り、そんな日は来ないだろう。それは何となく分かっていた。