映画「なまどぅさらばんじ。今が青春」を観ました
カマドおばぁこと、福嶺初江さん。
人相と笑い声。
それが、とてもとても魅力的だった。
年齢を重ねていくことは、寂しいことじゃない。
生命の美しさを目撃した。
聴覚障害を持つ実母との暮らし。戦時中は、食べるものがなく、浜辺で貝を拾ったり、耳の聞こえない実母に戦闘機が迫る危険を知らせ、九死に一生を得た。戦後も認知症の実母を介護した経験から、現在も認知症サポーターとして活動している。
戦中戦後の記憶。
思い出したくない。話したくない。
そんな経験を経ても、朗らかに、気持ちよく笑う。
それが、カマドおばぁの生き方なんだ。
辛く、悲しく、理不尽な出来事が起きても、
自分の生き方は選べる。
楽しい時は、楽しむ。思いきり笑う。
やってみたい事は、やってみる。
食べたい物は、食べる。
会いたい人に、会う。
今、この瞬間を、生きる。
なまどぅさらばんじ。今が青春。
これは反戦映画ではない。青春映画だ。
多良間島の八月踊り。その土地に受け継がれてきた文化や芸能は、とても尊い。
八月踊りは、国指定重要無形民俗文化財と知る。
ずっと受け継がれているもの。
故郷の文化や芸能は、たとえ自分が直接受け継いでいなくても、自分のルーツのひとつとなる。自分がここで生まれ育ち、生きてきたと感じられる証拠のような。そして、その土地で生まれ育ち、旅立っていった人たちを、離れていても繋いでくれる。その土地の文化、芸能、歴史を守ることは、地域のためだけじゃなくて、個人のためにも大切な事なのだと改めて実感した。
伝統文化だけでなく、芸術は人を繋ぐ。
カマドおばぁが創作したダンスは、戦争という理不尽な事実を、私たちに伝えてくれている。
思い出したくないし、話したくない記憶を、ダンスで表現したカマドおばぁ。その理由を問われ、やや沈黙した後に「なんでだろうねぇ」と遠くを見つめるカマドおばぁの表情が印象的だった。
カマドおばぁは、無意識であっても、ダンスという方法で、痛ましい戦争の記憶を昇華し、自らを癒し、救いながら、これからを生きる私たちへメッセージ(教訓)として表現してくれたのだと、私は思う。
文化や芸能は、その土地で育ち、混ざり合い、変化しながら、独自の発展を遂げている。
うちなーぐちのアンマーと、韓国語のオンマ。
どちらも「お母さん」を意味する。
組踊は、琉球古来の芸能や故事を基礎に、日本芸能(能や歌舞伎)や、中国の演劇からヒントを得て創られている。
沖縄県内であっても、それぞれの島の伝統がある。一言では括れない。そして、それが魅力だ。
カマドおばぁは、故郷の多良間島で、知り合いの知り合いと出会う。実母や知人を知っている人と、道端で思い出話をする。
古い友だちと再会する。自分を覚えてくれている人がいる。自分との再会を喜んでくれる人がいる。
思い出話は、同じ時代を共に生きた証。
何十年ぶりの再会でも、それぞれの人生で重ねてきた人生経験や、見た目の変化なんかとっぱらって、何者でもなかった頃の自分に戻れる。
故郷とは、土地そのものや、文化や芸能でもあるけれど。同じ記憶を共有し、再会を喜べる人たちがいる場所だとすれば。
沖縄も、私の故郷のひとつになったらいいな。
そして、沖縄のことも、茨城のことも、
どちらも知りたい。
私も、カマドおばぁのように、
気持ちよく笑い、朗らかな表情で生きる。
なまどぅさらばんじ!
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