貴老の人と愚老の人
今日のおすすめの一冊は、今西恭晟(たかあき)氏の『魂に響く108の言葉』(プロセスコンサルティング)です。その中から「卑しくないこと」という題でブログを書きました。
本書の中に「貴老の人と愚老の人」という心に響く文章がありました。
《年齢とともに、肉体は衰えていきます。しかし、年齢とともに、人間的魅力を増し、人間的成熟を深めていく人はたくさんいます。そういう人を貴老(きろう)の人といいます》(藤尾秀昭)
「貴老」とは、老人を敬っていう言葉です。「老人に対して貴老と呼ぶ。好い語である。老人はいつまでも愚老になってはいけない」と、安岡正篤は語っています。
貴老であるには、何事にも興味を持つことです。年齢とともに興味が薄れ、学ばなくなっては、愚老になるばかりです。愚老とは老いて愚かになることで、これは老のマイナス面でしょう。
しかし、老には長年経験を積んで、そのことに熟練するという「老練」「老熟」という側面があります。老のプラス面を深めていく人生でありたいものです。
「少にして学べば壮にして為すこと有り。壮にして学べば老いて衰えず。老いて学べば死して朽ちず」という、佐藤一斎の『言志四録』の中の有名な言葉があります。
青少年の若い年頃に学べば、壮年(中年)になって、ひとかどの仕事を成し遂(と)げることができる。壮年になっても学び続ければ、気力胆力が衰えることはない。老年になっても学び続けることができれば、見識はより深くなり、死後もその名声が朽(く)ちることはない、という意です。
言志四録は全4巻1133条あります。佐藤一斎は、80歳になってから2年間で、そのおよそ3割の340条を書き上げたといいます。いくつになっても好奇心を持ち、学ぶ姿勢があるなら年は取らないということです。
しかし、どんなに年齢的に若かったとしても、好奇心を忘れ、学ぶことをしないなら、若くしてすでに愚老の人となっているということです。貴老の人をめざしたいものです。
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