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魂を磨き続ける

今日のおすすめの一冊は、P・Fドラッカー氏の『仕事の哲学』(ダイヤモンド社)です。その中から「成長に最大の責任を持つ者は、本人」という題でブログを書きました。
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「成長に最大の責任を持つ者は、本人であって組織ではない」というドラッカーの言葉を自分なりに解説してみました。

京セラ創業者の稲盛和夫氏は「なぜ成長しなければならないか」についてこう語っています。

私たち人間が生きている意味、人生の目的はどこにあるのでしょうか。その根源的な問いかけに、私は真正面から、それは「心を高める」こと、「魂を磨く」ことにあると答えたいと思います。欲に迷い、惑うのが、人間という生き物の性(さが)です。放っておけば、私たちは際限なく財産や地位、名誉を欲しがり、快楽に溺れかねない存在です。
生きている限り、衣食が足りていなくてはなりませんし、不自由なく暮らしていけるだけのお金も必要です。立身出世を望むことも生きるエネルギーとなるだけに、一概(いちがい)に否定すべきものでもないでしょう。しかし、そういうものはいくらたくさん溜(た)め込んだとしても、どれ一つとしてあの世へ持ち越すことはできません。
この世のことは、この世限りでいったん清算しなくてはならないのです。そのような中で、たった一つだけ滅びないものがあるとすれば、それは、「魂」というものなのではないでしょうか。死を迎えるときには、現世でつくりあげた地位も名誉も財産もすべて脱ぎ捨て、「魂」だけ携えて、新しい旅立ちをしなくてはなりません。
だから、「この世へ何をしにきたのか」と問われたら、私は、「生まれたときより、少しでもましな人間になる、すなわち、わずかなりとも美しく崇高な魂を持って死んでいくためだ」と答えます。様々な苦楽を味わい、幸不幸の波に洗われながら、息絶えるその日まで、倦(う)まず弛(たゆ)まず一所懸命に生きていく。
その日々を磨砂(みがきずな)として、人間性を高め、精神を修養し、この世にやってきたときよりも少しでも高い次元の魂を持ってこの世を去っていく。私はこのことよりほかに、人間が生きる目的はないと思うのです。昨日よりましな今日、今日よりよき明日であろうと、日々誠実に努め続ける。その倦まぬ営みにこそ私たちが生きる目的や価値が、たしかに存在しているのではないでしょうか。(「成功」と「失敗」の法則/致知出版社)

「我々人間はなぜ成長しなければいけないのか」、それは「何のために生きるのか」と同義語です。それは、生まれたときよりも、少しでもましな人間になってこの世を去っていくこと。これは、生まれ変わり(リンカーネーション)があると思う人には、すごく納得できる話です。

生まれ変わりは、「輪廻転生」といいいます。この世に生まれたからには、自分の魂を磨き、前世より立派な人になってあの世に旅立つ。そして、また次の世に生まれ変わり、そこでも魂を磨き、前世よりもさらに立派な人になってあの世に逝く、という繰り返しをいいます。

「人生は、この世一回限りだ、犯罪を犯そうが、人に迷惑かけようが、自分さえうまくやって、この世を楽しめばいい」と思って生きている人は、もしあの世があったら、大変な反省をしなければいけません。仏教では死ぬ前に、「浄玻璃の鏡」の前に立つ、といいます。浄玻璃の鏡の前に立つと、自分の一生で行った悪行の数々や人に迷惑をかけたことが、一瞬にして鏡の中に走馬灯のように浮かぶといいます。それを見ていると身もだえしたくなるような、居ても立っても居られないほどの悔悟の念を抱くそうです。

だから、この世で魂を磨くのは我々がこの世に生まれて来た目的なのだ、と思った方が得だということです。死ぬ直前まで成長し続ける、魂を磨き続ける人生でありたいものです。

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