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足りないものを数えない

今日のおすすめの一冊は、小林正観さんの『すべてを味方 すべてが味方』(三笠書房)です。その中から「自分のことは勘定に入れないで」という題でブログを書きました。

本書の中に「足りないものを数えない」という心に響く一節がありました。

悩みや苦しみは向こうから勝手にふってくるものだ、と思っているかもしれませんが、悩みや苦しみというのは、自分が足りないものをあげつらねて、「足りないものをよこせ」と言っているだけのようです。
結婚している人は「どうしてこんな人と結婚してしまったんだろう。もっといい人がいたかもしれないのに」と言い、結婚していない人は、「自分にふさわしい結婚相手がほしい」と言います。 太っている人は「やせたい」と言い、やせている人は「太りたい」と言います。
夢と希望とは、ないものをほしがること。 ないものをほしがるのではなく、自分がもっているものをよろこぶと、自分がどれほど恵まれているかに気がつきます。
「女性に生まれて損だった。女は男に比べて損ばかりだ」 と言っていた女性がいます。 それに対して、こう言った女性がいました。
「あら、私はそうは思わない。女性は、ズボンを履いてもいいし、スカートを履いてもいい。選択肢が二通りある。 女性は、イヤリングをしてもいいし、しなくてもいい。これも選択肢が二通りある。 靴は平底の靴でもいいし、かかとの高い靴を履いてもいい。これも選択肢が二通りある。 常に女性のほうが男性の二倍の選択肢がある。 それは自由度が二倍あるということ。 だから、女性に生まれてきてよかった」
考えてみれば、そのとおりです。 ないものをねだるのではなく、自分に与えられて、すでに恵まれているものに目を向けたら、人間はどれほど恵まれているかわかりません。 人間が「夢や希望」と言っていることは、何か気に入らないことを宇宙に向かって言っているだけかもしれません。
どれほど満たされているか、ということに気がつくと、来る日も来る日も感謝になります。 ありとあらゆるものに感謝をしていると、面白いことに神さまや宇宙は味方をしてくれて、「そんなによろこんでいるのだったら、もっとあげちゃおう」ということになるようです。

「今はないものについて考えるときではない。今あるもので何ができるかを考えるときである。」 アーネスト・ヘミングウェイの言葉です。 人は、ついつい、今無いものを求めてしまいます。 

このコロナ禍においては、多くの飲食店やホテルなどでは、お客さんが激減してしまいました。 しかし、そんなとき、本当は、お客さんが来ないことを憂(うれ)えるのではなく、こんなコロナ禍でも、今、来てくれているお客さんに心から感謝し、大事にすることだと思うのです。

人は、「何かを失ってみて、初めてその大切さに気づく」、という習性があります。 それは、肉親だったり、大切な人だったり、あるいは健康だったりします。 すると、いかにあたりまえの日常が大切だったのかに気づくのです。

「有り難う」の反対は「当たり前」です。 「ありがとう」とは、有ることが難しい、奇跡のようなことです。 だから、その反対は「あたりまえ」。

コロナのないあたりまえの日常が、いかに有り難いことだったのか。 ハグできること、握手できること、マスクなしに面と向かって話ができること、皆でワイワイ騒げること、外国に旅することができること… 今、どれほど満たされているかに気づくと… あらゆることに感謝の念がわいてきます。

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