愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ
今日のおすすめの一冊は、落合陽一氏の『過去を「巨視」して未来を考える』(NHK出版)です。その中から「デジタル発酵と地産地消」という題でブログを書きました。
本書の中に、「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」という心に響く文章がありました。
100年以上前、ドイツの宰相オットー・ビスマルクが残した、「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」という言葉があります。
自らの経験ばかりではなく、先人たちの経験の集積(歴史) を学ぶことで、より良い判断ができるという意味ですが、じつはこの引用の後が重要で、本当の愚者は何事からも学んでいません。
人類は長きにわたって反復しながら試行錯誤を続けてきました。その試行錯誤を検証すること、つまり歴史は繰り返してもあまり進化しておらず、変わっていない人類がどういうことをしてきたのかを検証することには意味があります。
技術インフラの欠如による失敗なのか、そもそも人類に向いていないから失敗したのかといった点について、常日頃から考える癖を持つのは有益なことでしょう。 新型コロナウイルスによるパンデミックが起きる前の世界、2019年くらいの世界では1~1年半先のことは世界を動かしている人たち、たとえば企業の意思決定層や祭事の委員などに実際話を聞いてみればだいたいの予想はつきました。
けれど新型コロナウイルスのような自然に関係することでは予測が非常に難しく、1~2年単位で考えてきたような大きな変化が1~2週間で起きることもあります。そのように予測が非常に困難な時代では、「二歩先」ではなく「半歩先」をどうやって考えるかが重要となります。
そのためには少し前のことや、これまでやってきたことを踏まえたり、予備の計画をいくつも立てたりして先を見通さないといけません。 現在の人間が考えていることは、昔とそんなに変わっていないと思います。ただ、処理能力は変わっていなくても、知的ネットワークのような「枝」が張られている量はかなり増えています。
たとえば、脳のメモリは昔もいまもそれほど変わりませんが、1980年代のパソコンに比 べればiPhone は莫大な処理能力がある。人間の処理能力が格段に向上したわけではありませんが、アクセスできる情報の可能性が劇的に高まったわけです。
昔なら、数千冊の本を常に持ちはこぶことなどありえませんでしたが、デジタルなら可能でしょう。 そうやって情報や体験の可搬性が上がったことでネットワークが変化し、有益な情報を得るために適切なネットワークにアンテナを張ることが重要になりました。
ネットワークに対する視点は人によってさまざまですが、ここでは巨視的な視点をもとに歴史を見ることで新たなアンテナを提示したいと思います。
本書の題名にある「巨視」とは「ズームバック」のことです。ズームバックとは、映像を撮るとき、画面いっぱいにとらえた被写体を、カメラを引いて小さくすることです。その反対が「ズームアップ」でカメラで画面を急に拡大することです。
巨視とはマクロで見ることで、物事を全体的にみることです。つまり、全体を俯瞰(ふかん)して見ることです。「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」という言葉を胸に刻みたいと思います。
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