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述べて作らず
今日のおすすめの一冊は、藤尾秀昭氏の『安岡正篤 心に残る言葉』(致知出版)です。その中から「人は何のために学ぶのか」という題でブログを書きました。
本書の中に「述べて作らず」という心に響く文章がありました。
《述べて作らず》
孔子は「述べて作らず」といいました。私は自分の意見なんか何もいっていないよ、先人の教えを皆さんに伝えているだけだ、と。
これは安岡先生もまったく同じです。安岡先生はこういう言葉を残しています。
「僕の人生は、古今東西の名言や記録の渉猟(しょうりょう)に明け暮れてきたが、その功徳は僕にとっても大変なものがあった。これをまた、分け与えるのが僕の使命である」
古今東西のあらゆる先知先哲の文献の渉猟に、時の経つのを忘れていたというのです。そして、そこから学んだことをみんなに分け与える。それが使命だと。だから、安岡先生の一生はまさに孔子の「述べて作らず」と同じです。
先生は膨大な範囲の、膨大な深さの、先人の教えを皆に提供し続けた。まさに、それが先生の人生だった。歴史の中に埋もれた先哲の言葉に光を当てて、その古い言葉に命を吹きこんで蘇(よみがえ)らせていったというのが先生の人生だったと思います。
◆孔子や安岡師のような偉人が「自分の意見なんか何も言っていない、先人の教えを伝えているだけだ」と言っているのは衝撃的だ。
人の生き方や、人間学に関していうなら、いくら自分の独創的な意見だといっても、その発想は過去の多くの偉人たちの意見の組み合わせでしかない。だから、本来は誰もが「述べて作らず」の人であるはずだ。
「述べて作らず」という言葉を胸に刻みたい。
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