
議論すると友だちを失う
今日のおすすめの一冊は、齋藤孝氏の『齋藤孝が読む カーネギー「人を動かす」』(創元社)です。その中から「相手の気持ちをくみとって、共感する」という題でブログを書きました。
本書の中に、「議論すると友だちを失う」という心に響く言葉がありました。
学生でいる間は、みなさんもたびたび議論をしたことと思います。 ところが人を説得するのに、議論は何の役にも立ちません。 それどころか、社会に出ると議論すること自体が危険をともなう、と覚えておいたほうがいいでしょう。
なぜなら、議論をしてたとえ相手を打ち負かしたとしても、相手の意見は変わらないからです。
「議論に勝つ最善の方法は、この世にただ一つしかないという結論に達した。 その方法とは…議論を避けることだった。 毒ヘビや地震を避けるように議論を避けるのだ」 とカーネギーは言っています。
この教訓をカーネギーはあるパーティーに出席したさい、学んだのです。 パーティーでカーネギーはある男性と、引用句について、出典が聖書かシェイクスピアかで議論になりました。 カーネギーは確信があったので、出典がシェイクスピアであると主張したのですが、相手は「聖書の言葉だ。間違いない」とたいへんな剣幕で詰め寄ります。
するとその場に居合わせたカーネギーの友人が「確かに聖書です」と相手の肩を持つのです。 友人はシェイクスピアの研究家でもあったので、カーネギーはひじょうに驚いてしまいます。
パーティーの帰り道、カーネギーが友人に確かめると、友人は答えます。 「もちろん出典はシェイクスピアさ。でもめでたいパーティーの席でなぜ人の間違いを証明しなければならないんだ。証明すれば相手に好かれるのかね?」
カーネギーは議論をしても何の意味もないことを悟るのです。 どんなに議論をしても、相手の考えを変えられないのであれば、議論はたんなる自己満足に終わってしまいます。 その上、議論をすることで、友だちを失ったり、上司から嫌われたり、同僚から反感を持たれてしまうのなら、議論する意味はまったくありません。
萩本欽一氏は議論についてこう語る。
「負けるが勝ち」よくこう言いますよね。 僕もそう信じています。 でも、なんで負けるほうが勝ちなんだと思いますか? 僕なりの理由はこう。 “負けたほうが運がたまるから”。
誰も必ず人と意見が衝突することがあるけれど、そういうとき「自分のほうが正しい」とか「議論に勝ちたい」って、つい思っちゃいますよね。 でも、そう思ったら負け。 勝とうとすると自分の運が減っていくんです。
だから言い合いになったときは、自分が正しくないかということより、運を減らさないことを大事に考えたほうがいいの。 相手が「てめえ、ばか野郎!」と言ってきたら、「あ~あ、あの人、自分の運を減らしちゃったよ、その分をこっちがもらっちゃおうかな」と心の中で考えるの。
具体的な方法はどうすればいいかというと、謝っちゃうんです。 「そうか、悪かったね」とか、「ごめん、君の言う通りだよ」って言えばいい。
もう一つ大事なのは、自分が一歩引くことによって、相手に嫌われるのを避けられるっていうこと。 人に嫌われないっていうことは、すごく運になるの。 人生って結局、運をどれだけためられるかっていう勝負なんです。
だから、そのほかの勝負で勝とうなんて思わなくていいの。 だからバ~ンと言われても、ぐっとこらえて言い返さない。 負けるが勝ち。
議論になったとき、多くの人は、自分が正しいことを証明したがる。 逆に言えばそれは、「あなたは間違っている」と言い立てること。 そしてそれは、自分を認めて欲しいという思いの表れでもある。
しかし、議論に勝ったところで、相手は嫌な思いになり、離れて行ってしまうだけだ。 いつも大声でまくしたて、人の話も聞かずに、一方的に自分の意見を押しつける人を好きになる人はいない。 だからこそ… 議論は絶対に避けること。
今日のブログはこちらから☞人の心に灯をともす