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「恕」は、人を思いやる心

今日のおすすめの一冊は、藤尾秀昭氏の『小さな人生論 2』(致知出版社)です。その中から「読書は心の食物」という題でブログを書きました。

本書の中に平澤興氏の「恕(じょ)」についての一文があります。

元京都大学総長の故平澤興さんは、論語の一節がお好きだったようで、 著作や講演によく引用されている。 以下、平澤さんの解釈に従う。

子貢(しこう)は聞いた。 「先生、たった一語で、一生それを守っておれば間違いのない人生が送れる、 そういう言葉がありますか」 孔子は、 「それは、恕(じょ)かな(其恕可)」と答える。 孔子が「恕なり(其恕也)」と断定せず、「恕か」と曖昧(あいまい)に答えたところに、 なんとも味わい深い孔子の人柄を感じる、と平澤さんは述べておられる。
自分がされたくないことは人にはしてはならない、それが恕だ、と孔子は説いた。 つまりは思いやりということである。 他を受け容れ、認め、許し、その気持を思いやる。 自分のことと同じように人のことを考える。 そのことこそ、人生で一番大切なことだと孔子は教えたのである。
孔子は、人生で一番大切なことは、「恕」ではないかな、と言いました。 思いやりがある人は、他人の立場に立つことできる人です。 他人の痛みや、苦しみ、喜びをわがことのように感じることができる人です。

他人の立場に立つことができる人は、自己肯定感がある人でもあります。 「私ってすごい」とか、「俺っていけてる」と、 いくら自分だけで思ってもそれは自己肯定感にはつながりません。 自己肯定感とは… 誰かの役に立っていると、思えることだからです。 自分は誰かに愛されている、好かれている、と思えることです。 また、自分を大事に思ってくれる人がいることであり、自分を必要としてくれる人がいることです。

自己肯定感がなければ、人を受け入れることも、 認めることも、許すこともできないし、人を思いやる余裕も持てません。 つまり、「恕」の心を持つ事ができません。人の役に立つこと、人の喜びのために懸命に働くことを続け、人生で一番大切な、「恕」という人を思いやる心を育(はぐく)みたいものです。

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