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世界は毎年少しずつ良くなっている

今日のおすすめの一冊は、ケヴィン・ケリー氏の『5000日後の世界』(インタビュー・大野和基/PHP新書)です。ブログも同名の「5000日後の世界」として書きました。

本書の中に「世界は毎年少しずつ良くなっている」という心に響く一節がありました。

【歴史は「世界は良くなっている」ことを教えてくれる】
私が楽観的なのは歴史を学んだからです。ここ二百年ほどの歴史の進歩を振り返ってみる と、進歩は段階的に起き、毎年の変化はわずかで、長寿化、安全性の向上、暴力の低減などがちょっとずつ進んでいます。過去二百年の歴史における改善や進歩は、毎年ほんの少しずつの増加の積み重ねで生じたものなのです。
平均的に見て毎年1%ほどのほんのわずかな増加、つまり良い方向への進歩が過去二百年間続いており、急にそれが止まるとも思えません。もちろん絶対ではありませんが、これまで見てきたありとあらゆるものから考えるに、同じことが来年も起きるでしょう。こうした 進歩の実態をきちんと理解すべきなのです。
そしてそうした1%の進歩がずっと続いていけば、今後二十年から二十五年の間にわれわれはどういう方向に行くのか、何を得るのか、それは良いものなのか、ということが問題になります。毎年ほんの少しずつの進歩の積み重ねで、二十年後にはもっと良くなっているという絵を描いて、それに向かって行くのです。
しかし、「世の中は年々悪い方向に行っている」と捉えている人も多くいると思います。 それはなぜかというと、ほんのちょっとの進歩はなかなか見えないからです。たった1%の差は短い期間ではほとんどわかりません。それに対して、悪い部分は49%と半分近くもあるので容易に目にとまります。
さらに、新聞やオンラインの報道は、良いニュースより悪いニュースしか報じません。今日起きなかったことは報じないのです。ハーバード大学教授のスティーブン・ピンカーも言っていますが、良いこととは「今日は何も悪いことが起きなかった」ということなのです。
例えば、今日あなたは、強盗に遭ったり道中で橋が崩れたりもしていません。でも、そういう話はニュースにはならず、唯一ニュースになるのは、例外的な何かいつもと違う話だけです。ですからニュースには最悪な話しか出ていませんし、現実をきちんと反映したものでは ないんですね。
それは複利計算で利息を計算するような話です。毎年進歩の度合いが1%増えるとすると、いや毎日変化はあるので日々と考えると、そういうことが何代も続いて、百年経った後にどんなことになるか考えてみてください。それこそ文明が辿った道です。
例えば現在の東京を見てみれば、ビルが立ち並んでいますが、それはこうした1%の成長をここ数百年経てきた証しです。その期間に文明が進展し、医療保障も発達したということになります。

新聞やマスコミは特殊な事例しかとりあげません。大多数の人々が見聞きしているようなありふれた事例(事件や、できごと)は、ニュースにはならないからです。するとそういうマスコミのニュースばかり見ている人は、世の中が悪い方向に行っていると思い込んでしまいます。

昨年と比較し、その変化を見つけることは難しいですが、100年前、200年前と比べてみると、その変化は一目瞭然です。江戸時代にはクーラーも、冷蔵庫もありませんでしたし、夜は電気もついていませんでした。火事も多く、それによって多くの人が亡くなっています。


また、交通事故も、死者数のピークは1970年(今から50年前)は1万7千人でしたが、2021年は2600人と激減しています。また、犯罪は増え、凶悪化しているという誤解がありますが、殺人や強盗などの凶悪犯罪は昭和には1万5千件あったのが、昨年は4900件で、ずっと減少傾向にあります。

テクノロジーによって世の中は悪くなる、と多くの人が心配していますが、ケヴィン・ケリー氏は楽天的に考える人だけが、より良い未来を作ることができる、と言っています。

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