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ゼロリスク以外は否定される教育現場

今日のおすすめの一冊は、石戸奈々子氏の『賢い子はスマホで何をしているのか』(日経プレミアシリーズ)です。その中から「子どもにスマホは悪か?」という題でブログを書きました。

本書の中に「ゼロリスク以外は否定される教育現場」という興味深い文章がありました。

毎年、交通事故で3万人前後の死傷者が出ますが、それを理由に「自動車みたいに危険な ものが、街を走っているのは許せない。使用禁止にせよ!」と叫ぶ人はいないと思います。 包丁で指を切るのは日常茶飯事ですが、「こんな危険物がどこでも入手できるなんて、けしからん!」と怒る人もいないでしょう。
食の安全・安心に敏感なお母さんのなかには、塩素系漂白剤の「混ぜるな危険」という表示を見て、「そんなに危ない塩素が水道水に入っているなんて、なんか気持ち悪い」と感じ る人がいるかもしれません。でも、そんな人だって、水道水の残留塩素は人体に影響がないぐらい微量であること、塩素消毒しなければコレラや赤痢、腸チフスといった感染症にかかりかねないことを説明されれば、納得するはずです。
要は、この世にリスクがゼロなんてものは存在しないのです。メリットとデメリットをはかりにかけて、メリットのほうが大きければ、それを使う。ただし、デメリットを極限まで減らす方法だけは徹底的に考える――。そういう風に社会は動いている。 ところが、なぜか教育に関しては、リスクがゼロでないと許せない人が多い印象があります。少しでもリスクがあると全否定されてしまう。
例えばクラウド問題。一般社会ではもはやクラウドで情報を管理するのが常識ですし、文部科学省も「クラウド・バイ・デフォルト」といって、クラウドを活用することで効率的な ICT環境を整えるよう呼びかけています。 でも、実際には、自治体に個人情報保護条例があって、学校は子どもたちの学習データを クラウドにアップできない。情報漏洩の恐れがあるというのです。
じゃあ、クラウドに上げなきゃ安全なのかというと、データの入ったUSBを先生が紛失 する事件がたびたび起きています。東日本大震災では学校が津波で流されて、子どもたちの 大切なデータがすべて消失してしまいました。アナログに管理したってリスクは存在するのだ、という点が完全に忘れられている。
もう「銀行預金が安全か、タンス預金が安全か」みたいな話です。銀行は倒産するリスク がある。タンス預金は盗難にあうリスクがある。どちらにもリスクは存在するのです。むしろ、銀行が倒産した場合に預金を保護する仕組みさえ用意しておけば、前者のほうがリスク は低くなります。 にもかかわらず、「これまでずっとタンス預金でやってきた。新しく登場してきた銀行な んて信用できない」と言っているのが、クラウド問題の本質だと思います。
クラウドのセキュリティ技術はどんどん進化しているのに、そこを見ずに、「新参者はう さんくさい」という理由だけで、リスクの存在を過剰に騒ぎたてる。その結果、「なじみ深 いタンス預金のほうが安全だ」という、おかしな結論になってしまう。
日本の先生たちは真面目で熱心で、世界的に見ても非常に優秀だと思います。でも、周囲の無理解のせいで、そのポテンシャルを十分に発揮できずにいる。学習データを効率的に活用できれば、もっと一人ひとりに合わせた教育が可能になるのです。先生たちのためにも、 子どもたちのためにも、冷静な議論が必要だと思います。

これは、教育現場だけでなく、日本では100%の安全が確認されないと前に進めないという「ゼロリスク」神話が存在し、それがためにプロジェクトが中止されたり、後退したりしている事例が多くあります。

たとえば、直近でいえば「コロナワクチン接種」問題(危険だから打たない)です。また、「狂牛病」問題(全頭検査)、「子宮頸がんワクチン問題」(全て中止)等々です。

特に子宮頸がんワクチンでは反対運動のため、厚生労働省が接種を止めたため、世界の国々の中で日本が最低の接種率になってしまいました。接種率でいうなら、ノルウェー93%、オーストラリア89%、イギリス85%、カナダ83%、韓国72%、アメリカ61%ですが、日本は0.6%です。

その結果、他国では子宮頸がんの集団免疫ができて死亡率が限りなく少なくなったのに、日本では特出して多く、1万人が子宮頸がんと診断され、年間約3000人が死亡しています。

また、日本は完璧主義がこのゼロリスク感情を増幅しています。それを小田切尚登氏はこう言っています。

日本人は完璧主義であり、「石橋を叩いて渡る」のが美徳とされる。この慎重な姿勢が、良質な製品のモノづくりを可能にし、日本経済の発展に大きく寄与した。 しかし、過度な完璧主義には弊害が大きい。完璧でなければならない、というプレッシャーが強すぎると、人々はチャレンジをしなくなり、社会は停滞していく。 手術に失敗はつきものだし、交通事故はゼロにはならないし、政府の政策は間違える...... 人間はさまざまな失敗を重ねて、問題を修正していくことによってのみ成長する。失敗を回避することを最重要と考える社会に未来はない。

そういう風潮が、この失われた30年、GAFAに席巻されてしまったり、中国にITで後れをとってしまった、ということにも通じます。また、昨今のモンスタークレーマーも同じで、「私は金を払っている顧客だ」と、完璧なサービスを要求し、些細なミスでも店員に土下座をさせたりします。

些細な失敗やミスも許さない、という完璧主義(ゼロリスク)では、新たなことへのチャレンジがほとんどできなくなり、日本の国力が落ちるのも無理はありません。

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