『胎話師 ゆきと』第3話
いつものようにベンチに座っていると、近くを歩いていたチャラそうな二人組の男の会話が聞こえてきた。
「あの…すみません。それって羽山のことですか?」
「誰だよ、おまえ。S高の制服…。」
「あの子の彼氏なんじゃねーの?」
「あぁ、なるほどな。そう言えば好きな奴に顔が似てるから、好きとか言われたし。たしかにちょっとは似てるか、俺に。」
「彼氏じゃなくて、羽山の友人です。友だちが侮辱されているのを聞いて、許せなくなって…。」
「何だよ、おまえ。彼氏でもねーなら、何も関係ねーだろ。ガキは引っ込んでろ。そもそも実緒ちゃんとは合意の上でやったんだから。実緒ちゃんは喜んでたし。」
「合意の上だとしても、やるだけやって妊娠したら逃げるなんて、卑怯じゃないですか…?」
「うるせーな。おまえだって、もし女が妊娠したら、ばっくれるだろうが。」
「俺は…妊娠させたことなんてないし、そもそも妊娠に至る行為もしたことがないです。いつか妊娠させることがあるとしても、俺は逃げたりしない。一緒に考えるし、彼女に寄り添っていたい。」
「ははははっ。なんだ童貞か。童貞のくせに偉そうに。」
「童貞だからって侮辱される筋合いはないです。俺は別に性交はまだできなくていいと思ってるし、ちゃんと命に責任取れるようになるまで控えなきゃとも思ったし、俺は…自慰の達人だから、それで満足してます。」
「ははははっ。おもしれ―奴。できなくていいなんて強がっちゃって。しかも自慰の達人なんてさ。馬鹿じゃねーの?自慰なんかより、女とやる方が気持ちいいんだよ。」
「俺は…胎児のうちに自慰を覚えた男だから、あなたの知ってる自慰より、きっと上手いはず。」
「胎児?ママのおなかの中にいた時からやってるって?ははははっ。」
「そのせいかどうかは分かりませんが、胎児の声が聞こえるから、瞬さん、あなたに伝えます。羽山のおなかの子はあなたに会いたがってました。ママを苦しめる、ろくでなしって憎みつつも、嫌いにはなれないと。だって自分を存在させてくれた父親だからって…。できればパパにも愛されたかったと…。私のことは忘れていいけど、ママのことだけは忘れないでって…。」
「なんだよ、こいつ。頭おかしいんじゃねーの?胎児の声が聞こえたなんてさ。S高って賢い奴しかいないのかと思ってたけど、馬鹿が多いんだな。実緒ちゃんといい、おまえといい…。」
「たしかに俺は賢くないですが、あなただって十分馬鹿じゃないですか?」
「何だよ、てめーさっきから、いい気になりやがって。何様のつもりだ?」
「羽山は軽い女じゃないし、馬鹿でもない。おなかの子のことで真剣に悩んで、必死に考えてた…。俺は馬鹿な童貞で自慰の達人、胎児の味方の胎話師、ゆきとだ。胎話師の俺が無責任中出し男を成敗してやる。」
「ひゃっはははっ。こいつマジキチじゃね?正義のヒーローぶって意味不明なことばっか言ってさ。」
「胎話師だって?ひでー妄想。頭やられてるみたいだから、一発お見舞いして矯正してやるよ。」
しまった、調子に乗って言い過ぎた。殴られると思った瞬間、誰かがやって来て、俺に向かっていた拳を阻止してくれた。
助けてくれたのは透さんだった。
「君たち、高校生を相手に何をしてるんだ?」
「別に、何もしてませんよー。」
「ヒーローごっこに付き合ってただけですよ。こいつ、幼稚だから…。」
実は空手が特技の透さんに睨まれた彼らは逃げるように立ち去った。
「幸与くん、大丈夫かい?ケンカなんて珍しいね。しかも年上相手に。」
「友だちが侮辱されてたから、ついカッとなって…。」
「そっか、友だちをかばっていたのか。幸与くんはやさしいね。ケガはない?平気ならその辺でお茶でもどうかな?」
透さんに誘われ、喫茶店に入った俺は今回の経緯を透さんに話した。
「なるほどね…さっきの男に友だちが妊娠させられて、流産しちゃったのか…。彼女は今もつらい思いを引きずっているだろうね…。」
「はい…。気を落としている羽山の力になりたいって思って、何かできることはないかと考えて、逃げた男を探し出して一度説教してやりたくなったというか…。」
「友だちのために勇気のいる行動に出た幸与くんはすごいね。昔…若気の至りで似たようなことをした私は肩身の狭い思いがするよ。」
前に愛心が教えてくれた通り、透さんも女の人を中絶させた過去があるから、他人事ではなかったのだと思う。
「負けるって分かってたけど、あいつら羽山のことを馬鹿呼ばわりしてたから、悔しくなって…。」
「友だちを泣かせた男をかばうわけじゃないけど、女性を大切にできない男にも何か事情があるのかもしれない。幼少期に性的虐待を受けていたとか反動で…。でもどんな事情であれ、性に奔放になって、女性を泣かせるのは悪いことだ。だから、幸与くんの勇気ある行動は素晴らしいことだと思う。ところで胎話師がどうとか言ってたよね?」
「あっ…それは…熱くなってつい、透さんから教えてもらった言葉を使ってしまっただけで。だって羽山だけじゃなくて、亡くなってしまった胎児の方だって、あの男…父親に言いたいことがきっとあるはずと思って…。」
透さんにはまだ胎児と話せるようになったことは言えなかった。
「そっか…今回のことで胎児の気持ちも考えてくれたのか。それが胎児と対話する一歩につながるからね。やっぱり幸与くんは胎話師として天性の才能があると思うな。」
透さんと別れ、帰宅すると家の前に羽山が立っていた。
「羽山?」
「幸与くん…。この前はごめんなさい。」
「いつからここで待ってたんだよ。身体に障るから、うちに上がれよ。」
すっかり日は沈み、夜になっていた。4月に入ったとは言え、まだ肌寒さも感じる。慌てて羽山を自分の部屋に入れた。
「身体は…もう大丈夫なのか?」
「うん。幸与くんのお父さんに、手術して胎のうとか残留物を吸引することも勧められたんだけど、その場合、結局、お母さんに言わなきゃいけなくなるから。自然に排出されるのを待つ方を選んだの。」
「そうだったんだ…。お母さんに言わずに済んだのは良かったな。」
「うん。でも何かは薄々勘付いてるかも。母親ってそういうものだよね。昨日、血の塊が出たから、今日診てもらったの。そしたら子宮の戻りは順調で、空っぽになってるって。」
「そっか…。」
「空っぽになった子宮を見た時はちょっとショックだった。少し前までたしかにあの子の命が宿ってた場所なのに、何も残ってないなんて悲しかった…。」
「うん…悲しいよな。」
「でも…あの子はやさしい子だったなって思うの。私がお母さんにも相談できないって困ってるのを知って、自分から身を引いてくれた気もして…。中絶じゃなくて流産だったから、お母さんに言わずに済んだし。そもそも中絶なら殺してしまった罪悪感が残るけど、流産なら死んでしまったから仕方ないって時間が経てばそう思えるかもしれないし…。」
「うん、俺もそう思う…。羽山の子が気を利かせて、羽山が苦しまなくて済む状況にしてくれたんだと思う。」
「流産って分かった直後はパニックになってつらくて、つい幸与くんに八つ当たりしてしまってごめんなさい。少し落ち着いたら、全部あの子が私のためにそうしてくれたのかもしれないって考えられるようになったの。」
「羽山がそう考えられるようになったなら、もう大丈夫だよ。たぶんだけどさ、羽山の子はこう思ってるよ。ちょっとママの元に宿るのが早過ぎたから、出直してまた来るねって。たとえパパが違っても、ママのおなかに宿ったらママの子には違いないし、それはわたしだから、気づいてね。悲しまなくていいよ、また会えるからって…。今回のことは自分で決めた選択だから、ママのせいじゃないよって…。」
「何、それ…まるでほんとにあの子から聞いたみたいな話ぶりで泣けちゃう。幸与くんってさ、妊婦と胎児の気持ちを分かろうとしてくれるやさしさがあるよね。やっぱり私はそんな幸与くんが好きだなー。でも、妊娠や流産のことバレてるし、今さら、こんな女をお嫁にはもらってくれないよね?しかもよく考えたら幸与くんのお父さんにも全部バレてるわけだし。あーもう、私の馬鹿。好きな人のお父さんに印象悪く思われるようなことしちゃった。結生家に嫁ぐ夢はとっくに消えてた…。」
「あのさ…俺が羽山と付き合うとかは今のところ考えられないけど、父さんは予期せぬ妊娠や流産した女の人を悪く思うような人じゃないよ。だから大丈夫。羽山の印象は少しも悪くないから。俺が羽山と付き合えないのも高校生で妊娠した女だから嫌とかじゃなくて、好きな人がいるからであって…。」
「えっ?まだ私にも可能性あるってこと?うれしい!でも…幸与くんには好きな人がいるんだねー。私、その女の人に負けたくないな。どんな人なの?」
「あまり期待されても困るけどさ。年上の女の人だから、片想いなんだ…。」
「へぇー年上が好みだったんだ。じゃあ私も落ち着いた大人っぽい女性を目指すよ。それとさ、幸与くん。」
「何?」
「幸与くんに彼氏になってもらえなくても、私のお医者さんになってほしい。幸与くんみたいに胎児や母親の声にちゃんと耳を傾けてくれる産婦人科医がいたら、私は安心して産めると思うから。だって私、あの子にまた会いたいもの。今回は空にすぐに帰しちゃったけど、もう少し大人になったら、今度こそ迷わず産みたいって思う。ちゃんと愛してくれる人と出会えて、また妊娠できたら、今度こそ必ず産むんだ。幸与くんが私のことを見放さずに側にいてくれたから、こんな風に思えるようになったよ。ありがとうね、あの子と私の味方でいてくれて。」
羽山に真面目に感謝された俺は、胎話のできる医者になるのも悪くないかもしれないと思い始めた。真剣に胎話師を目指すのもありかもしれない。だって俺もまた、胎児と話がしたいと思えるから。
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