骨も拾えない臆病者で夢見る貧困女子の私はおつとめ品ハンター
約20年前、父方の祖母が亡くなった時、羨ましくて仕方なかった。2歳上のいとこのお姉さんが。納骨の時、みんなが悲しみに暮れる中、いとこのお姉さんは交際中だった彼氏を連れてきていて、彼の肩にもたれかかって涙をハンカチで拭っていた。その光景が忘れられなくて、未だに鮮明によみがえってくる。早くに夫を亡くした父方の祖母は、高齢になっても海外旅行へ行けるほど、裕福な暮らしをしていた。(つまり私は祖父には会ったことがない。)外孫だった私は、そこまでかわいがってもらった記憶もなく、祖母が亡くなった悲しみに浸るより、彼氏連れのいとこのお姉さんの方に夢中になっていた。大切な人を失った時、甘えられる存在がいるっていいな、悲しみを分かち合おうとしてくれる相手がいるっていいなと…。いとこのお姉さんのおかげで、恋人がほしい願望が生まれた。
母方の祖父母には近くに住んでいたこともあって、生まれた時からかわいがってもらっていた。父方とは真逆の暮らしぶりで、貧乏育ちの二人から、慎ましく生きることを教えられた。大事にされている自覚もあった。だから母方の祖父母のことは大好きだし、いなくなってしまったらすごく悲しいと、想像するだけで泣けた。母方の祖父母とお別れする日が来るまでに、私もいとこのお姉さんみたいに葬儀に駆けつけてくれる彼氏を作ろうと思った。当時の私は23歳~24歳で、祖父母も元気だったから、まだ間に合うと思った。
それまで、誰ともお付き合いしたことはなかったし、告白したりされたりすることもなかった。恋愛には疎い生活を送っていた。大学生の頃は、大好きなアーティストの推し活に励んでいたし、卒業後は在宅ワーカーになったため、出会いなんて皆無だった。
当時はまだマッチングアプリなんてない時代だったから、出会い系サイトのような場所で出会いを求めることにした。容姿に自信のない私でも、まだ若いというだけで、何人かの男と出会えた。そこで知り合った一人の男とズルズルと10年以上、友達以上恋人未満のような関係が続くことになった。その男との話をし出すと、キリがなくなるので、今回は詳細を避けるが、私の人生に最大の幸せと最大の不幸せを与えてくれた男には違いない。
彼氏として正式に付き合ってくれそうもないと分かっていたから、私はその彼と関係を続けつつも、30代になると婚活にも手を出していた。婚活の話もし出すといろいろありすぎて長くなるため、またの機会に割愛させてもらうが、まぁ見事に失敗し続けた。失敗というより、どうしても出会い系で知り合った彼と比べてしまって、恋人にはなってもらえないけど、やっぱり彼の方がいいと寝返ってしまうのがオチだった。単純に出会い系の彼は、容姿や声がタイプだったから。性格や性癖に問題があるのは分かっていても、好きだから、断ち切れなかった。今振り返ってみると、そんな状態だから、婚活なんて参加しても上手くいくはずはなかったと思える。
そうこうしているうちに時は流れ、私は恋人ができないまま、38歳になっていた。祖父母を亡くした時、寄り添ってくれる相手をみつけると意気込んでいたはずなのに、間に合わなかった。39歳になる前、半年のうちに立て続けに祖父母を亡くした。もちろん葬儀に来てくれる恋人なんていなかった。私はただ、ひとりで涙を流し続けた。
祖父母の場合は、親や叔母、親族がいたから、どんなに悲しくても、相方がいなくても、どうにか乗り越えることができた。コロナ禍の時期だったため、身内でこじんまりした葬儀だったけれど、特に叔母のおかげで、私はちゃんと悲しみと向き合うことができた。
けれど、祖父母の骨を拾ってあげることができなかった。火葬の炉に入るところまでは見届けたけれど、葬儀会場で受付の係をしていたせいもあって、私は収骨に参列できなかった。受付という係は言い訳にすぎなくて、単に私は骨を見る勇気がなかったんだと思う。臆病者で小心者だから。もし、彼氏がいたら、骨を拾うこともできたかもしれない。一緒に収骨にも参列してくれる相方がいたら。
祖父母の葬儀で気づいたことは、身内じゃない義理の親族がいるからこそ、みんなどうにかやり過ごすことができるんじゃないかということ。叔母だって、夫がいて息子もいたから、気丈に立ち振舞い、涙もほとんど見せなかったんだと思う。他の親族も血のつながっていない義理の人たちの方が死を客観的に見られるから、その場で冷静に仕切ってくれていた気がする。やっぱり、恋人や結婚相手は必要だと、母方の祖父母の葬儀を経験して、より強く思うようになった。
つまり私の場合、いちゃいちゃ楽しく過ごしたいからとか、ひとりは寂しいから誰かにいてほしくて恋したいのではなく、恋人がほしい理由はただひとつ。年齢の順番通りの死だとして、避けては通れない親たちの葬儀をひとりでは乗り越えられる気がしないから、40歳過ぎた今になっても、相方がほしいと思ってしまう。葬儀という人生でそう何度も経験することはない非現実的なあの時間を、あの悲しみを共有してくれる相手がいてほしいから、恋人、可能なら結婚してくれる相手がほしい。
私には妹もいるけれど、妹は障害者なので、葬儀の時は頼れない。むしろ、妹もいるから、親の葬儀の時はどうしたらいいんだろうと悩んでしまう。その頃、頼りになる叔母も健在かどうかは分からないし。身内は独身が多くて、これからどんどん親族は減る一方だし…。親の時こそ、収骨をしないわけにもいかないし。骨上げの時、ひとりだったら心細い。一緒に骨を拾ってくれる彼氏がほしい…。
20年前、私が憧れた飯島直子さん似のキレイないとこのお姉さんは、あの時の彼氏ととっくに結婚し、子どもにも恵まれ、幸せに暮らしているように見えた。私は指を咥えて傍観しているに過ぎなかったけれど、美人薄命という言葉がある通り、お姉さんは数年前に急病で急死してしまった。40歳になるかどうかという若さで。
私の憧れの存在はこの世からいなくなってしまった。死は歳の順とは限らないということも思い知らされた。親を見送る時までに、どうにか相方がほしいなんて考えていたけれど、私の方が親より先に死ぬ可能性だってあるんだと改めて気づかされた。
相方がほしい気持ちは心の片隅に残しつつ、恋人作りより、自分の夢を叶えることを優先することに決めた。40歳になってからは特に。
ここまでは前置きのようなもので、これからが本題。
文章を読むことより、書くことの方が好きな私は、36歳ころから漠然と何か本を作ってみたいと考えるようになった。自費出版するには、そこそこまとまったお金が必要。だけど、フリーランスで在宅ワーカーの私は収入が少なく、本を作るための資金なんてなかった。とりあえず片っ端から公募に応募して、受賞して賞金をもらえたら自費出版しようなんて安易に目論んでいた。
新聞に投書すると採用されることが多く、「〇〇さんなら、本も出せると思うよ」なんて記者の人からのお世辞を真に受けて、目標を達成するのにそんなに時間はかからないだろうと甘く考えていた。電子書籍ではなく、できれば紙の本で形として残したいと思っていた。
もし書籍化できたら、それがコミック化、アニメ化、実写化されて、日本語訳すると、弱者の反撃という大好きなロックバンドに主題歌を書き下ろしてもらいたいなんて飛躍した夢を暴走させていた。まだ一冊の本も残せていないというのに。
本を出版したいという夢を抱いて、公募に応募しても一次さえ通らない。かすりもしない。気づけば6年くらいそんな状態。自分なりに書き続けてはいるものの、審査員や編集さんの目を惹く才能は私にはないらしい。デビューしている作家さんたちの本を読んでも、足元にも及ばないし、比べものにならない、自分が書いているのは文学じゃなくて、ただの作文だと薄々気付き始めているものの、夢を諦められない。40歳の時からは、自分のためじゃなくて、自分にとって大切な存在のために夢を叶えると決意したから。そのことを語り出すとさらに長くなるので、その話もまたの機会に残しておくとして、自分の文章を書籍化するという目標を実現させるための、私の暮らしぶりをちょっと紹介したい。
まずフリーランスで在宅ワーカーの私はお金がない。いわゆる貧困女子(おばさん)の部類に入ると自覚している。実家とひとり暮らしの部屋の二重生活をしていて、週の半分くらいはひとりの勝手な時間。あとの半分は家族のために実家で家事や雑用をこなしたりする制約のある時間。母が障害者の妹の面倒を見ていて、ほとんど外出できないので、買い出しなども私の役目だから、実家にいる時間も大事。
だけど、妹が騒ぐことも多い実家にいたのでは、集中して書くことは難しい。例えば4000字程度の童話くらいなら、夜の隙間時間に書けるけれど、短編小説や物語を真剣に書くとなると、実家では無理がある。
だからというわけではないけれど、元々家族が借りていた部屋を、物書きのアトリエとして借りることにした。10畳ほどのワンルーム。キッチン、バス、トイレ付きの物件。ひとりで過ごすには十分。仕事がそもそも少ないため、休みの3日間程度は連続してその部屋で過ごすという、ひとり暮らしもどきを謳歌している。
そんなに休みがあるなら、バイトでもすればいいものの、休みの日に仕事を入れたら、書く時間がなくなるという都合の良い甘やかしで、休日は物書きの時間にあてている。誰でもそうかもしれないけれど、眠いと書けない。たくさん書くと決めた日は、まずはたくさん睡眠をとる。元々眠るのが好きで、たぶんロングスリーパーだから、休日は10時間くらい眠っているかもしれない。そんなに眠ったら、一日の半分は睡眠で終わるようなものだけど、自分にとっては書くための大事なプロセス。
起きている時間が半日しかない分、料理に手をかけている時間はない。そもそも本格的に料理をしようとしたら、時間だけでなく、お金もかかる。物価高の影響で、調味料だって馬鹿にならないし。お金もなく、ずぼらで面倒くさがりやの私はひとりの時は、ほぼスーパーのおつとめ品頼り。閉店間際のスーパーに駆け込んで、2、3日分の食糧になりそうな値引きされたお惣菜を狙う。好きなものが残っているとは限らないけど、おつとめ品コーナーは宝探しみたいでちょっとワクワクする。まるで私はおつとめ品ハンター。
いつも思うのだけど、あの値引きシールを貼る店員さんはすごい圧の中、淡々と仕事をこなしていてすごいなと、遠巻きに眺めてる。自分ももちろんそのひとりだけど、おつとめ品を漁る人たちはまるで、夜の外灯に群がる夏虫たちに似てる。シールを貼る店員さんが明かりなら、私たち客は夜の虫。くっつかんばかりについて歩いてしまう。
おつとめ品の場合、迷っている時間はない。すぐに手が伸びてきて、先にカゴに入れられてしまうこともしばしば。だから、迷ったらとりあえずすぐにカゴへ入れて、あとからどうしても要らないと思ったら、戻す感じ。
おつとめ品の魅力は、まずは何よりお求めやすい価格。店によっては最終的に半額以下になる場合もある。
それから定価なら食べないものでも気軽にチャレンジできること。定価の場合、好きなもの、おいしいと分かっているものしか買わないけれど、ちょっと興味あって食べてみようかなと思ったものを試せるのがおつとめ品。そこで新たに自分好みのお惣菜を発見することもあって、ちょっと楽しい。いろいろ試し過ぎて太るという弊害もあるけれど、気にしない。体型には無頓着だから。
店によっては19時代にはもう値引き品がなくなるところもあるし、21時過ぎてもたくさん残っている店もある。おつとめ品ハンターとして何年も通っているおかげで、店ごとにおつとめ品をゲットするのに最適な時間帯を把握できるようになった。揚げ物なら、冷凍にしておけばけっこうもつし、冬場は冷蔵でもけっこう保存できる。出来立ての料理にこだわらなければ、お金をかけなくても、十分、食欲は満たされる。
ひとり飯の醍醐味と言えば、食べる時間も適当で済むこと。私の場合は睡眠時間が長いこともあって、一日二食(+間食することも)。13時~14時ころに一食目。4、5時間書いたら(たいてい書いている時に間食)、お風呂に入り、22時ころ二食目という感じ。寝るのが深夜1時過ぎだから、寝る直前に食べているわけでもなく、自分としては問題ない。
おつとめ品のお惣菜ばかりでは飽きることもあるので、気まぐれでカレーや焼きそばを大量に作って、何日も食べ続けることもある。一度に食べ切れないというのも、ひとり飯ならではかもしれない。
最近のお気に入りは、白いプレーンクラッカーに冷凍食品のグラタンや買ったあんこを乗せて食べること。クラッカーって何でも合うから好きになった。それもおやつというよりは食事。
二食で済ませる分、一度に食べる量がちょっと多くて、例えば焼きそば、食パン(たまごサンド)、納豆ごはん(またはおにぎり二つとか)を一食で食べたりしている。麺、米、パンと炭水化物のオンパレード。焼きそばの部分が、カップラーメンの場合もあり。いずれにしても炭水化物天国。
いつか病気になって後悔するかもしれないけど、たくさん書く時は、脳が炭水化物をたくさん欲する。たくさん食べると、さくさく書ける。身体を動かすためというより、書くために食べている。たくさん眠るのもたくさん食べるのも、すべては書くため夢を叶えるため。
とは言え、眠って食べて書いて…という一歩も外へ出ない連日ひきこもり生活では身体を壊すのも分かっているので、定期的に散歩をしたり、図書館や神社にも行っている。
貧困女子がレジャー?するなら、お金のかからない公園、神社、図書館に行き着いた。公園まで散歩しながら、春は芽吹き出した街路樹の花や草花を愛で、夏は暑さを避けて夜道を歩きながら星や月を眺める。秋にはドングリなど木の実を拾いながら、公園へ行き、そこでも松ぼっくりなどを拾って、拾ったものたちでリースを作ったりする。冬は暖かいうちに日なたを求めて歩く…というように季節ごとに歩く時間帯を変えて、散歩をひとりでのんびり楽しんでいる。
神社と図書館へは車で行く。片道5分程度の場所に行きつけの神社があり、片道10分くらいのところに県立図書館があるので、助かっている。
童話作家志願なので、一番よく行くのは館内のこども図書館。絵本や児童書がお気に入り。次によく足を運ぶのは視聴覚コーナー。DVDやCDも借りられるので、ありがたい。絶対観たい聴きたいものはレンタルショップで借りたり、ネットで買ったりしているけれど、ちょっと興味のあるものは、図書館で間に合う。観逃していた数年前の映画や、最近流行ってるけど買うまででもないとためらっていたミセスのCDとか、聴いてみたかったサカナクションのCDとか図書館で、タダで借りられるんだと思うとちょっとうれしくなる。CDを借りられるレンタルショップが激減してしまったから、なお図書館に助けられている。
なかなか筆が進まない時は、インプットする時間と割り切って、図書館で借りてきたCDを聴きながら、本を読んだり、DVD鑑賞をしているので、ひとりだからって寂しいとか退屈と思うことも少ない。
貧乏行きつけの店と言えば、100円ショップも忘れてはいけない。学生時代はフランフランとかで雑貨を買うのも好きだったけれど、そもそも近年はそういうおしゃれな店がある駅前とか行かなくなった。金銭面の不安もあって。だからわりとどこにでも点在している100円ショップに赴く頻度が増えた。そこでハンドメイドに使えそうな小物を買い、散歩しながら拾った木の実も使って、リースとか作っていると、あっという間に時間は過ぎる。ハンドメイドは眠くなってもできるので、夜ご飯を食べた後にとか、寝るまでの時間、TVを観ながら、黙々と何かを作っていることも多い。
こんな風に、極力お金をかけないひとり暮らしもどきはけっこう楽しくて、生活は充実している。お金はないよりある方がもちろん助かるけど、ないならないなりに暮らしを豊かにする工夫もできる。経済面は厳しくても、精神的には豊かに過ごせていると思う。おつとめ品を買って食べ、無料の公園、神社、図書館へ行き、ふらり100円ショップに立ち寄り、大半の時間を部屋で書いて過ごす…。
もしかしたら最初は、お金がなくて買い物も旅行にも行けないから、「書く」という行為を覚えただけかもしれない。暇つぶし目的で書いていた時期もあったかもしれない。それが今や効率よく書くために、いろいろ逆算して生活するようになった。書く時間を増やすために、料理はほとんどやめたとか…。
一食目を食べたら、室内を掃除機かけるし、風呂に入ったらすぐお湯を抜いて風呂掃除して翌日に持ち越さないようにしてる。洗濯も夜中に済ませて、掃除、洗濯の時間も書くための時間に支障が出ないように計算してやっている。すべては本を出版するという夢を叶えるために。
パソコンに向かっていることが多いから、たぶん視力もますます悪くなっているし、座りっぱなしは健康に良くないと分かっている。けれど、まだやめられない。
そのうち親たちがもっと高齢になって、介護とか必要になったら、たぶん私はこんな自由気ままなひとり暮らしはできなくなる。いつかは終わりが訪れる、限りある今の豊かで貧しいひとり暮らしライフを大切に過ごしたい。
お金がないって傍から見れば、かわいそうとか気の毒に思われがちだけど、貧困だからって別にそんなに惨めじゃなくて、今の私は自分らしい生き方ができていると思っている。ライブや旅行に行く余裕はないし、2008年製の車は走行距離が17万キロ以上になったから、いつ故障するだろうとヒヤヒヤしながら乗っているし、古くなってもスマホもパソコンもすぐには買えないし、めったに外食もできなくなったけど、おつとめ品という心強い味方がいるから、食に関してはどうにかなっている。服や靴もあまり買えなくなって、(衣)食住を維持するので精一杯の暮らしではあるけれど、高価なものがほしいという欲さえ持たなければ問題ない。私は本物のジュエリーより、100円ショップのビーズで小物を作る方が好きだし。宝石に負けないくらい心を輝かせながら、生きているつもりだから、大丈夫。
忘れてはいない、いつか訪れる大事な人たちの骨を拾う時までに、可能なら相方もみつけたい。臆病者で小心者の私の悲しみに寄り添ってくれるやさしい人、心の隙間を埋めてくれる木の実みたいにどこかに落ちてないかな…。みつけられたらすぐに拾うから。年季の入った忘れられた存在の松ぼっくりみたいな私のことも誰か拾ってくれないかな。
私は木の実だけでなく、ちゃんと骨を拾える人間になりたい。
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